やさしさに包まれたなら ~学びの場に必要なもの~ | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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最近息子がジブリのサウンドトラックを気に入っていて、よく一緒に聴いています。

 

息子のお気に入りはトトロの「さんぽ」と崖の上のポニョのテーマソングです。

 

それらが流れるとニッコニコで踊り出します。

 

サウンドトラックの中に、魔女の宅急便のエンディング曲「優しさに包まれたなら」も収録されています。

 

久しぶりに聞いたのですが、歌詞にハッとする箇所がありました。

 

“やさしい気持ちで目覚めた朝は大人になっても奇蹟は起こるよ

 

カーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたならきっと

 

目に映る全てのことはメッセージ”

 

目に映るありとあらゆる物事から、自分に宛てられたメッセージを感じ取る。

 

その自分に向けられて発せられるメッセージに対する感受性が最大限に発揮されるために必要な条件、

 

それが“優しさに包まれたなら”。

 

なるほど確かにそうだよなぁ、と私は思わず唸ってしまいました。

 

 

ギリシャ哲学の礎を築いたソクラテス、そしてその弟子のプラトン。

 

儒教の祖である孔子。

 

仏教を打ち立てた釈迦。

 

そっち方面に疎い私はつい最近まで知らなかったのですが、現代まで脈々と語り継がれるこれらの思想を築き上げた、この4人、

実はほぼ同時代を生きていたのだそうです。

 

彼らが生きていたのは、紀元前500年前後。

 

なぜこの時代に、後世まで残るような思想が次々生まれたのでしょうか?

 

この時期は地球が温暖化し、農機具として鉄器が使われるようになり、農業生産性が著しく向上します。

 

農業生産性の向上によって余剰な収穫物が得られるようになり、それが貧富の差を生み出しました。

 

富める者は自分は働かず、貧しい使用人に労働をさせるようになります。

 

そしてそれらの人々は有り余る財力で、自分の周りに芸術家や学者を囲い込むようになりました。

 

こうして、食べるものにありつけず、飢える心配から解放された知識階級の人間たちの中から今日まで残るような思想が次々と生み出されることとなったのです。

 

飢える事の不安から解放され、将来に対する安心感があったからこそ、それらの知識人も思想を深めることが出来たのでしょう。

 

つまり人が思索を深め、何かを学び取るために必要なものの一つが安心感だということです。

 

思索を深め、何かを学び取るためには安心感が必要。

 

これは私自身の感覚ともとてもよく合致します。

 

 

私は今でこそ、高校生に数学を教えていますが、高校時代は本当に数学が分かりませんでした。

 

先生の言っていることが全然頭に入って来ないのです。

 

高校二年生の夏休み明けのテストで0点を取ったことを今でもよく覚えていますし、sin、cos、tanの意味が分かるようになったのは高校三年生の春です。

 

それくらい意味が分かりませんでした。

 

その後何とか、大学に入ったのですが、何を血迷ったのか私は理学部に入学します。

 

数学は意味不明でしたが、この意味不明の文字列の何たるかが分かれば、世界の秘密の一端を解明できるのではないかと思っていたのです。

 

そこには、分からないからこそ分かりたいという、ある種の飢えがあったのかもしれません。

 

しかし数学が出来ないままでは卒業できないと危機感を抱き、もう一度高校の数学を勉強し直すことにしました。

 

なんと教科書を開いて自分で読み進んでいくと、あんなに意味不明だったことが、「なんだ、そんなことだったのか」という具合にスラスラと意味が分かるのです。

 

結局大学では、数学の授業でも評定Aをとりましたし、今センター試験や共通テストの数学の問題を解けば9割方正答できます。

 

別に自慢がしたくてこのような事を書いているのではありません。

 

本題はこれからです。

 

 

私はプロフィールにも書いていますが、高校が大嫌いでした。

 

毎日毎日学校に行きたくなかったのですが、そんなこと言うと親に怒鳴りつけられるので、しょうがないから3年間イヤイヤ通っていました。

 

進学校だったので、勉強の出来不出来というたった一つのモノサシで自分を測られる感じや、

 

ちょっとでも周りと違うふるまいをすると変な奴みたいな扱いを受ける、同調圧力に満ちた雰囲気が窮屈でたまらなく嫌でした。

 

大学に入ってからは本当に自由でした。

 

気の合わないような人間と同じ空間にいる事を強要されたりもしないし、勉強の成績という単一の価値感で優劣を測られることもありません。

 

本当にのびのびと自分のしたいことに没入できる貴重な時間を過ごしました。

 

これらの現象から私が言いたいことは、どうしようもなく居たくない場所に居続けることによって、脳の活動はフリーズしてしまうということです。

 

そしてこれは別に私一人に限ったことではありません。

 

 

子どもたちと一緒に勉強していても、場の雰囲気がその子に与える影響を強く感じます。

 

具体的に書くことは控えますが、家の中の雰囲気が悪くなっていたり、学校での人間関係に心配なことがあったりすると、子どものパフォーマンスは一気に低下します。

 

テストの点が悪いと親に怒られると心配している子より、テストの点が良かろうが悪かろうが別に何も影響ない、という子の方が良く勉強するし、成績も良かったりという例も見てきました。

 

時代に名を刻む先人たちが思索を深めるために必要だったもの。

 

そして子どもたちが学びを深めるために必要とするもの。

 

人間の脳は定住生活を始めた1万2000年前からほぼ進化していないそうなので、きっとそれらは同じなのだと思います。

 

人が思索し、学びを深めるために必要なもの、それはまず安心感です。

 

不安感を抱いたり、分からないことを責められたりするような環境では、何かに集中することはできません。

 

子どもたちに良い学びを手渡したいともし親御さんが望まれるのならば、

 

誰かと競わせたり、不安感をあおるようなことではなく、どうぞまず安心感を抱けるような環境づくりをしてみてください。

 

自分に向けて発せらるあらゆるメッセージへの感受性を上げていけるのは、やさしさに包まれた安心感のある環境だからです。

 

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