数回に分けてちょっと変なタイトルでブログを綴ってきました。
今まで書いてきた内容は、
・「納豆嫌い!」は問題視されないのに、「学校嫌い!」は大問題になってしまうのは何故か?
・日本には「学校だけが唯一の学びの場である」という信仰にも似た考えがあり、それが不登校という「問題」を作っている。
・人間には様々な情報処理の仕方があり、その方法によっては学校の講義型の学習が合わない子もいる。
・HSC(Highly Sensitive Child)と呼ばれる感受性豊かな子どもがいて、その才能ゆえに学校にいるだけで苦しくなる場合がある。
・世界の教育に目を向けると、実に多彩な教育プログラムが用意されていて、日本のように単一のキャリアパスしか用意されていない国のほうが少ない。
ということです。
なぜ「納豆嫌い!」はさしたる問題にされないのに、「学校嫌い」は大問題にされてしまうのか?
「納豆嫌い!」と「学校嫌い!」が同じ重さで語られるようになったとき、
世の中から不登校という「問題」はなくなるのだと考えます。