それは生きる喜びです。 | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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最近の子どもたちの進路選択。

実学志向の強さを感じます。

実学、それは平たく言えば、換金性の高い学問ということでしょう。

経済的合理性という観点から実学を志す人が増えているのだと感じますが、私は実学志向に関してかなり懐疑的な人間です。

その理由は前々回のブログで述べました。

実学という賞味期限の短い学問ではなく、もっと時間的射程の長い学問として、一般教養の大切さに言及しました。

今回は何故一般教養なのか、その理路を述べてみたいと思います。


=アイディアの作り方=

「アイディアとは既知情報の新しい組み合わせ」という言葉があります。

様々な分野の知識が頭に入っていれば入っているほど、それらがある瞬間に結び付き新しいアイディアが生まれるものです。

ある分野で壁に突き当たっているとき、その壁を突破するきかっけを与えてくれるのは、その分野の知識ではありません。

エジソンが電球のフィラメントの材料に頭を悩ませているとき、新しいアイディアを与えてくれたもの。

それはたまたま研究室の机に置いてあった扇子だったそうです。

扇子の骨格に使われている竹を使えば、長く灯り続ける電球を作れるのではないか。

エジソンの頭の中で、電気の知識と、扇子の竹という植物の知識が化学反応を起こし新しいアイディアに昇華した瞬間です。

つまり、時代の後追いをするような偏った知識をではなく、様々な分野を横断するような幅広い知識を手に入れることで、様々なアイディアを生み出せる人間なって行けるのではないでしょうか?



=専門バカは使えない=

ちょっときつい言葉ですが「専門バカは使えない」という言葉があります。

自分の専門分野のことについてはよく知っているけれど、他分野に対して何の知識も持たない人を揶揄した言葉です。

世の中にどんな知の種類が存在し、その中で自分の所有している知は一体どんな立ち位置にあるのか?

そういう全体的な知の地図を把握していない人間は、自分の知識が社会の中でどのような意味があり、他分野と一体どのような関係性にあるのか、これから自分の専門分野はどのように発展していくのか。

そのような全体像をうまく把握することが出来ません。

それでは一般教養という土台の上に、自分の専門分野の知識を積み重ねている人はどうでしょう?

自分の携わっている分野にはどのような社会的意味があるかを人に説明できる人は、自分があまり詳しくない、でも支援を必要とする他分野の人と協働できることでしょう。

そしてこれから自分たちが進むべき方向性を把握し、適切な方向性に舵を切って進むことができるでしょう。

専門的な知識を生かすためにも、その下に一般教養という土台をしっかりと固める必要がある。

私はそう考えます。


=彩りを与えてくれるもの=

もう一つ。

これは実利的な話ではありませんが、一般教養のある人は一つの事柄でも多角的な視点から見ることができます。

例えば、旅行で歴史的な建造物を見た時でも、普通の人は歴史という一つの視点からそのお城を眺めることが多いと思います。

もしその人に一般教養があれば、同じものを眺めていても、芸術的、宗教的、経済的、心理学的観点からその建造物を眺め、味わうことができるでしょう。

それは決して直接お金になるわけではありませんが、その人の人生を何倍も彩り豊かにしてくれるのではないでしょうか。

世の中にはお金というモノサシもありますが、お金では測りきれない価値もあります。

そういう様々な人生の価値に気づけるのも、一般教養を知ることから得られる恩恵の一つだと思うのです。



時代を後追いするような実学志向は本当に合理的な選択と言えるのかについて考えてきました。

時代にジャストフィットした学問は、その性質故に、時代に、社会に消費されてしまいやすい。

そういうものではなく、身に着けるべきは、すぐには役に立たないけれど、末永く使い続けることができる一般教養なのではないか?

私はそう考えます。




様々綴ってきましたが、最も自分が言いたいことは、経済的合理性などというケチくっさいものに、何かを学び取る喜びを奪い取られてたまるかコノヤロー!ということなのです。

何かを学ぶ喜び。

それはお金になるとかならないとか、そんなしょうもない話ではなく、昨日の自分にできなかったことが今日の自分にはできる、今まで無秩序に見えていた世界にはこんな摂理があったのか、そういう人が生きる喜びそのものなのだと思うのです。

だからお金になるとかならないだとか、そんなケチなことに子どもたちの学ぶ喜びを奪われることに我慢がならないのです。

閑話休題。

実学志向。

もう一つ大事な事を見落としているのではないかと思います。

それはまた次回。