人は自分が自分に抱いた前提に縛られている。
そして縛られていることに自分だけでは気がつけない。
だからもしその前提が、自分自身を害するものであるならば、
その前提を上書きするために今とは違う前提で向き合ってくれる他者が必要、と綴ってきました。
綴りながら気付いたこと。
私自身がその前提を上書きしてもらっていました。
=前提を変えてくれたもの=
ブログのプロフィールにも書いていますが、私は大学院で心身の不調から学校を中退しています。
その後、実家に帰り療養の日々を過ごすのですが、同級生は大企業に就職したり、国家公務員になったり、研究者になるべく博士課程に進学したり。
一方の自分は研究者になるという目標も途絶え、仕事も出来ず、療養の日々を重ねるだけ。
「俺はいったい何をしているのだろう?」
「生きている意味があるんだろうか?」
頭の中にそんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えする毎日を過ごしておりました。
そんな中でも家族や病院の先生、友人の支えもあり体調は徐々に回復していきました。
それでも自分に対する前提、「自分は何もできない、生きている意味の乏しい人間」という自己認識をなかなか拭い去ることは出来ずにいました。
病気が回復し元気になったときに就いたのが、学生時代も携わっていた家庭教師の仕事でした。
勉強が苦手、分からないという子どもたちと接するうちに、私は思い出すことができました。
「自分にもできることがあったじゃないか」
子どもに勉強を教える一方で、私は子どもたちからそのことを教えてもらいました。
人は自分自身に抱いた前提を自分自身で変えることは難しいと書きました。
私が私に対する前提を変えることができたのは、「勉強が苦手、分かりません」という子どもたちの存在があったからこそです。
だから私は、一緒に学ぶ子どもたちに感謝しているし、苦手なことに取り組むその姿を尊敬もしています。
そしてあの頃の自分が子どもたちから教えてもらったように、今まさに苦しみの中にある子どもたちに
「お前はそんな人間じゃない、素晴らしい才能と可能性を持った人間なんだ」
というメッセージを伝えていきたいと思っています。
次回に続きます。