高校時代、学校の雰囲気が肌に合わずうまく馴染めなかった私。
大人になった今でも、単一の価値観が支配的な場、構成メンバーの均質性が高い場にいると息苦しさを覚えます。
程度の差はあるかもしれませんが、人が心地よく居られる場とは、多様であることが許される場なのではないか。
私はそう考えます。
=逃れの場=
進学校と言われる学校に通っていた私ですが、その雰囲気に上手に馴染むことができず毎日毎日学校に行きたくない。
何がそんなに苦手だったのか今でもはっきりとはわかりません。
「勉強しろ」「勉強しろ」と言われ、偏差値とか進学率とか単一の価値観を押し付けられて、自分という人間を測られるような雰囲気に息苦しさを感じていたのかも知れません。
その単一の価値観の中で雰囲気にも馴染めず、勉強もできず、まったくもってパッとしない自分。
出世コースからは外れているけど、一方はニコニコ楽しそうに、一方は冷や汗かきかき一生懸命に授業する先生。
高校時代の自分にとって、自分自身とその先生たちがまるで二重写しのように見えていたのかもしれません。
世間一般の価値観で、素晴らしいとされる「成績優秀」と「立身出世」。
「出世コース」を歩んではいなくても、楽しそうに、不器用でも一生懸命に授業をしている先生たち。
「成績優秀」にはなれない、単一の価値観の中で劣等感に苦しんでいた自分に「それでもいいのかもしれない」と思わせてくれる存在。
閉塞感に満ち満ちて上手に息継ぎできなかった高校生活に風穴を開けてくれる存在、逃れの場だったのかもしれません。
次回に続きます。