意味がわからないことの意味 | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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ご覧頂きありがとうございます。不登校に悩まれる親御さんが心の穏やかさを取り戻し、子どもたちが笑顔を取り戻してくれること、それが私の喜びです。不登校に悩まれる親御さんのお役に立てるよう、情報発信して参ります。


学校教育は決して洗脳などではなく

子どもたちの考える力の土台を築き

世界観を広げてくれる素晴らしい内容でること

そして国語、英語、社会、理科、数学

それぞれを学ぶことで何を得られるのか

それぞれを学ぶことにどんな意味があるのかを考えてきました

ここまで書き綴ってきてすべてをひっくり返すようなことを書きますが

意味が分かることは必ずしも良いことばかりではありません

意味が分からないことにも意味がある

今日はそんな内容を綴ってみたいと思います



=意味が分かってしまうことの罪=

考えることはとても大切なことですが

その一方で考えることには辛さも伴います

考えるとは

今までの自分の思考のフレームを一度解体し

再度組み立てなおすこと

それゆえに脳みそに多大な負荷がかかります

気が付くと考えることを無意識的に避けていた

私にはそのような経験があります

例えば本を読んでいる時がそうです

今まで読み慣れたジャンル

今までに読み慣れた書き手

読んでいても知的に負荷がかからない故に

無意識的にそういう本を選んでしまう自分がいます

そういう本を読み続けていても

脳みそがくたびれることはありません

だからスラスラ読めてしまいます

そして読み終えた達成感も味わえます

が、得るものはそう多くはありません

簡単に意味が分かってしまうことの罪

それはその人の世界観が全く広がらないということです



=学ぶことの意味、それは学んだあとで初めて分かる=

それを学び取ることの意味は学んだ後で初めてわかる

内田樹さんの「先生はえらい」という本に教えてもらったことです

赤ちゃんが周りの大人から言葉を学び取るときに

言葉を学ぶことの意味を知っているでしょうか?

言葉を学ぶことで私にはこんな得なことがある

そんな風に考えて言葉を学んでいるでしょうか

言葉を学び取ることで

家族と会話ができるようになった

本を読むことができるようになった

友達に手紙を書けるようになった

言葉を学び取ることで得られるもの

それが分かるのは言葉を学び取った後

ですよね?

学び取る内容がその人の人生観をがらりと変えてしまう

クリティカルな内容であればあるほど

それを学ぶ前の人間には

それを学び取ることの意味が分かりづらい

そういう構造になっているのだと思います

だからこれを学び取ることで自分は何が得られるか

容易に想像できてしまうような事柄は

実は大した学びではないのかもしれません



=成熟は葛藤を通して果たされる=

意味の分からなさの中で

揺れ動き葛藤することで人は成長していく

そうであるならば

意味が分からないことにも意味がある

私はそう考えます

今ここに中学生の少年Aくんがいたとします

親は部活よりも勉強を頑張れと言う

先生はみんなで一緒に部活頑張ろうぜと言う

親と先生の言うことが割れているとき

少年Aくんはその間で揺れ動き悩みを抱えます

でもその葛藤のプロセスで

親は、勉強頑張って世の中の役に立つ大人になれ、と言っている

先生は、みんなで部活頑張ることで仲間と協力して働ける大人になれ、と言っている

なんだ要するに親も先生も大人になれと言っていたのか!

そう分かるときが来るわけです

一見相反する物事の中に共通項を見出せるようになる

それは物事を見る視点が高くなったから

より広い世界を一望俯瞰できる視野を得たから

そしてそれが人間として一段成熟した瞬間なのです

意味の分からなさを抱えたまま

相反する物事の中で揺れ動き葛藤することを通じて

人は一段一段大人への階段を上がっていくのだと考えます



学ぶことの意味についてずっと綴ってきましたが

意味が分からないことにも大切な意味がある

私はそのように考えます

なんでも簡単に効率よく手に入れようとする

近視眼的な世の中の雰囲気の中では

意味が分からないという状態に耐え切れず

理解できないことを簡単に切り捨ててしまいがちですが

その意味の分からなさ、気持ちの片付かなさを

切り捨てることなく大切に抱えて生きていてほしいのです

なぜならばその意味の分からなさ、気持ちの片付かなさの中で

揺れ動き葛藤する時間が人を成熟に導いてくれるのだから