今年最初の更新が、20日になってしまいました。
今年も飲食は厳しそうな状況ですが、
少しでもお力になれるように努力していきたいと思います。
明日から東京もまん延防止期間に入りますね。
症状やコロナ株の種類は変わってきたのに、
対応は2年前と何ら変わらないという変な状況ですね。
ちゃんと要請を聞く店舗や企業がどのくらいあるのか、
また、補助金を適正に受け取る店舗や企業ばかりなのか。
気になることは色々ありますが、収束ってのはずいぶん遠のいた感じですね。
最近も色々なシェフや、お店のオーナーの方々とお話しさせていただきますが、
仕事の仕方や求めることへの方向は様々だなと感じます。
何に意味を持ち、何に重点を置いて仕事をしてるのか、
そんなことについて今日は話したいと思います。
ミシュラン店は凄いです。そう凄いんです。
相応の努力をしないと取れはしないし、金銭的にもかけるものにはかけないと、
その土俵にすら上がることは難しくなる。
でもそれを求めていない店舗やシェフももちろんいる。
いつかミシュランを。それ自体は素晴らしい目標だと思うけど、
それだけが目標だと、どうしても傾向と対策に走ってしまって、
何かを失ってしまうことにつながりかねない気がします。
リロクックの加盟店舗はミシュラン店ももちろんですし、
それに準ずる素晴らしいお店が名を連ねます。
ですので、否定は一切しませんが、それだけでは無いと思うし、
ゴー・エ・ミヨも食べログなんかも価値基準としての存在は良しだと思います。
ただしあくまで結果論としての評価だと思っていて、
それを取りに行って、その為にどうすればいいか考えて、
その為の店づくりをして、その為に什器や設えを考慮して...
みたいなのには違和感を感じるし、取ったところでどうよ、的な感じになってしまいます。
経営的には勝者になれるかもしれませんけど、置いてきたものはどうすんだ?
って思ったりもします。
仕事して結果そうなった。と、結果ありきで仕事する、は違う気がします。
精神論みたいになるから言いにくい面もあるんだけど、
僕自身がパティシエとして東京の第一線でやっていた時、
聞こえてくる評価が気にならないと言ったら嘘にはなるけれども、
関心がなかったことは事実です。
美味しいフィユタージュ、あ、パイ生地ね。を作ろうとするとき、
あくまで美味しいものを目指すんです。別に見栄えとか、斬新さとか、
このフィユタージュで作ったミルフィーユを売り出してやろうとか、そんな事ではなく、
バターの温度、硬さ、進展率、グルテンの構築具合、部屋の温度、
そんな事だけを考えるんです。
折って伸ばして、また折って伸ばして、その時に今バターはどんな状態だろう、
無理なく伸びているのかな?ちょっとキツいけど無理したりしてないかな?
生地と上手く一体化出来てるのかな?バターになった気で考えてるんです。
馬鹿だと思うでしょうけど、本当なんです。
全てに於いて擬人化してしまうくらいの感覚で素材に触っていました。
だからこそ、作っているものに愛情と想いを乗せて「美味しくなれよ。」って話せるんです。
そうして出来上がったものが良い評価を受ければ嬉しいですし、
作って良かったと、世に出して良かったと感じることが出来るんです。
その作業の中に評価ありきだとか、売りたいなぁだとか、
今の時代や流行に寄せられてるかなぁ、なんて想いは気持ちが悪い。
結果そうなった、が職人として、物作り屋としての本道ではあると信じています。
特に若いこれからの人には、傾向と対策を伝授するのではなく、
自分自身の作りたいもの、目指したい美味しさを先に形作ってほしいのです。
そうやってきた結果、ミシュラン取れましたのほうが嬉しいでしょ?
いや、かっこいいでしょ?
なんか取るためにどうすればいいか的なこと聞くことが多いので、
仕事の意味としての僕の想いを書いてみました。
僕の大好きなイタリアンがあります。
東京の片隅でご夫婦で切り盛りしています。
1000円で食べられるパスタの東京最高峰です。
彼のボンゴレビアンコは無敵感半端ないです。
完全なリストランテの仕事を手を抜かず、いや手の抜き方を知らないシェフが、
一つ一つ作ってくれます。オーダーが重なると遅い時もあります。
彼の掃除は日本一です。何年も使った厨房は昨日開店したのかと思うくらいです。
彼の仕込みはどのミシュラン店よりも丁寧です。
お客様と話すこと、ワインを選ぶこと、気さくで陽気な最高のマダムが迎えます。
お昼は1000円、夜でも5000円でお腹いっぱい。
パスタだけじゃなく、アンティパストも魚、肉料理もお値段以上。
誰が何と言おうと、結果的に僕のミシュラン三ツ星です。