お久しぶりです。リロクックの塩谷です。
12月になりましたね。
飲食店にとってはとても大切な時期になります。
コロナは何とか落ち着いているようですが、新しい変異株もあって、
来年に向けては油断はできない状況です。
ミシュランも2022年版が本日発売されます。数日前には内容はわかっていたのですが、
予想には無かったお店も登場したり、新しくその存在を認知した店もあったり。
先日、リロクックのお仕事として伺った和食店で、
とても面白いお話をしていただいた。
僕は元々パティシエとしてこの世界に入ってきたんだけど、
それから数十年の月日が流れた後、ずいぶん菓子界の状況も変わった。
同じように料理界もずいぶん変わったんだと思う。
いわゆるイノベーティブとか、
フュージョンと言われる料理だとか、
何がそのカテゴリーに入るのかは線引きが難しいと思うけど、
そういう風にカテゴライズされているお店に行くことも多いけど、
和食なら和食、フレンチならフレンチの守るべきところってあるんじゃないかと思う。
その和食店、いや、日本料理店の店主は、
日本料理という文化に対して、とても真摯に向き合っている方だと感じた。
店の設え、生け花、茶道、器への造詣、書に至るまでを料理と捉え、
各々の道を極めんとする姿勢に感銘を受けた。
書道、茶道、そういったものを料理とともに修行の中に組み込み、
和の総合芸術としての日本料理を提供しようとしている。
少しばかり話が違うかもしれないが、
僕もフランス菓子を志した若い時期、フランスと言う国に憧れを持った。
フランス菓子を学ぶとしたら、日本では最高峰だと思える店に入店し、
菓子の全てを学びたいと努力した。
でもその店のシェフは僕にこう言った。
菓子だけ勉強しても菓子屋にはなれない。
その答えを探しにフランスにも渡って、その歴史や文化、風土、気候、
フランス料理、ワイン、その全ての関係性の中で生まれた菓子を感じた。
フランス菓子を作ることは、そんな全てを理解し、表現することだと。
そんな感覚があったから、その日本料理の店主の言葉はとても理解できた。
今、菓子界は変わっていってる。
僕らが目指した総合パティスリーは数を減らしている。
有名なシェフが率いる名店は存在するが、ほとんどが僕ら世代のシェフ達だ。
若い世代の総合パティスリーの名店は生まれにくく、育ちにくい環境にある。
長い修行が必要なせいもあるだろう、生菓子、焼き菓子、コンフィズリー、ショコラ、
ヴィエノワズリーに、アイスクリームなどの冷菓、そして細工物。
これらすべてを表現する店をパティスリーと言う。
生菓子とちょっとの焼き菓子を置いてるくらいならパティスリーとは呼べない。
全てのパートを作ることが出来る人をパティシエと呼ぶ。
パティシエは少なくなった。
専門を謳う店が増えたからだ。
焼き菓子専門店、ショコラ専門店、デザート専門店。
専門とは聞こえがいいが、僕的には中途半端感が否めない。
全てに精通し、理解し、身体に仕事を覚え込ませてるパティシエが作る専門は重い。
デザートをレストランで担当してましたー。デザート店やりますー、の軽さよ。
ソムリエでもある僕は、赤ワインを使った菓子を作る時にも、
副材料や、生地を考えて、じゃあこの産地のこの赤ワインを使おうってなる。
でも一般の菓子屋で使ってる赤ワインなんて業者が持ってきた適当なのを
使用してる店がほとんどだった。
総合での技術、細工の大切さ、切り物の技術、ショコラの理論、
テイクアウトの生菓子と、デザートでの生菓子の違いの理解、
発酵の科学、砂糖を自在に扱えなければ作れないコンフィズリーの深さ、
これらを持っているから、これらを体に染み込ませてるから、
専門職に深さや、重みが出るんじゃないだろうか。
あまりに簡単に専門を名乗りすぎるように感じる。
専門と言う言葉を軽く考えてる傾向があるようにも思える。
書のうまさが料理の旨さには直接は関係ないかもしれないが、
その料理の旨さや深さを、その書は雄弁に語るだろう。
内村航平選手も総合に拘った。
だからこそ単体の技術も磨かれるんだろうと思う。
促成栽培的な職人が多くなった今、
媒体もお客様の側も、本物を見抜く力が必要になってきたのかもしれないですね。
なぜかって?そういうお店の方が宣伝やマスコミ使いは上手ですから。