リロクック代表の塩谷です。

しばらくこのブログ放っておきましたが、皆さん忘れてないですよね?

コロナもなんとか明けて、全国的に人流が元のように戻ってきたみたいですね。

ちなみに人流って言葉はコロナの時代に入ってから生まれた言葉らしいですね。

時代が変われば、環境が変われば、新しい言葉も生まれます。

若い人の言葉を訳が分からないなんて言ってる人たちが生んだ言葉が人流。

一昔前なら何言ってんのかわからない言葉ですよね。

しかもそれは政府がしれっと使った言葉。

若者言葉には目をしかめる大人も、気が付けば人流って言ってる。

何が違うのかな?政府が、ニュースが言ったから?

なんの権力も持たない若者が言った言葉は理解できないといった人たちが

普通に使う人流とかの言葉に違和感ももたない人達。

怖くないですか?

 

今この時も北朝鮮では、時差も変わらないあの国では、

言われもない罪を着せられて、強制労働なんてことをさせられてる国がある。

そのすぐ近くの国では、一食何万円、そう、北朝鮮の人民の年間給与よりも

高額な食事を、毎晩のように楽しむ国もある。

 

そうなんです。今は普通ではないんです。

そのことはコロナでみんな分かったはずなんじゃないですか?

 

昨日までの普通は明日の普通ではないこと。

そのことは刻み込まれたのではないですか?

 

リロクックは高級飲食店や、ミシュラン店を中心にお仕事させていただいています。

何が高級かとか、何が一流店か、とかは以前もこのブログで書いた通りです。

値段やお皿の素晴らしさではないんです。心意気の部分が大きいんです。

 

では問います。

心意気とは?

 

僕は思うことはたった一つです。

可能性にかける心があることです。

意味が解りませんか?

 

僕は基本的にはパティシエです。

シュークリームはそんなに高い値段はつけられません。

一握りの意味不明な菓子屋以外はね。

ってことは、箱代や、袋代、保冷剤なんかをそれにフル装備したら、

原価割れすることなんてざらにある。

 

でもですよ。

そのシュークリームが美味しすぎてさ、

どうしても他の人に食べてもらいたくてさ、

次にお店に来た時には20個くらい買うかもしれない。

そう、その‘かも‘なんだよ。

その為に良きサービスを、良き笑顔を、心からの感謝を、

その小さな可能性に意味を見出すのが心意気なんだと思ってる。

 

そんな心を忘れた人間が、人間を導けるはずはない。

高級飲食店という鎧、ミシュラン店だという驕り。

自分たちは選ばれた人間だという誤解と愚かさ。

 

目が曇る。

 

自分を過大評価した時から人は目が曇る。

何かを身に着けていくほど、成長を感じるほど、

人は他の人を可能性の塊だと思わなければならない。

そう感じ取れないなら、人を判断する立場になってはいけない。

料理人なら勝手に料理馬鹿になればいい。

 

勘違いは勘弁してくれ。

料理が出来るから、

店が評価を受けたから、

それは君が偉くなったんじゃない。

支えてくれた人たちがいるはずだ。

色んな面での補助を受けてきたはずだ。

そう思うんだったら、人に対して謙虚でなければならない。

 

考えましょ。

自分が修行を始めたころのこと。

料理や菓子に対してしか関心を持てなかった君に、

沢山の先輩や後輩、そして志を同じくする仲間たちが世界を広めてくれたこと。

去っていく人が多いこの業界、

残った人間は、この世界の素晴らしさを伝える義務があること。

 

誰であれ、

そう、食材業者であれ、クリーニング業者であれ、

そして僕らのような飲食を支えようと考えてる仕事の者であれ、

知ってる者と、知らぬ者、もしくは業界歴や名声と、逆にそうで無き者、

その程度のことで対応を変えたり、言葉を変えたり、

ましてや、相手にしなかったり。

 

そんな全てが仕事に出るのです。

知らず知らずのうちに出るんです。

なけなしのお金で、記念日に食事に来た初見のカップルが、

財布を気にして、お酒類を頼めなかったとしたら、

上記のようなシェフはきっと馬鹿にするでしょう。

沢山お金を使う人との格差も料理に出るでしょう。

嘘だと思うかもしれないですね?

僕は内側からそんなことは沢山見てきています。

 

何が正義かなんて問わないです。

僕の正義は嘘の無いこと。

可能性にかけること、です。

虫けらのように思ってた人が、いつの間にか自分をはるか追い越してることもあります。

 

誰かを下に見たら、いつかその人に助けられる時が来たりしますよ。

もしそうなった時、過去に尊大な態度を取っていたら。

その人は助けたいと思うでしょうか?

誰に対しても同じ態度。

誰に対しても尊敬と敬意。

誰に対しても自分を変えない。

そんな人でありたいと思います。

 

ちゃんとしてたいだけです。

誰に何を言われても、自分の意思を伝えられるように。

誰かが僕のことをどうこう言うのは耐えられる。

でもね、僕の身内や、信頼する仲間が、

目の曇った連中に何か言われることには耐えられない。

人によって態度を変えるような、かもしれないってことを感じれないような、

勘違いを解ってないような、そんな人達は、

ずっと何かを見誤ったまま進むんだろう。

 

かもしれないって大事ですよ。

もしかしたら凄い常連になるかも、

もしかしたら凄いワイン頼むかも。

そう思って誰にでも同じ態度で接することが出来るのが、

本当の仕事をしてきた人間だと思います。