もうすぐ7月も終わりますね。
始まったばかりのオリンピックも、
日本選手が活躍すると単純に嬉しかったりする。
ただこの暑さは、なんだか本当にアジア以外の海外の方には、
ちょっとしたハンデを付けられたようなものに思えて申し訳なく思う。
出来れば毎回、申し分のない条件でやってもらえたらいいんだけど、
誰にでも申し分のないところって地球上には無いかもしれないしね。
ここしばらくは選手の方たちの活躍を楽しませてもらおう。
さて、今日はまた飲食店の在り方についてなんだけど、
しばらく前の記事にサービス料のことを書いた。
今回は大きな意味でのサービスについて話そうと思います。
日本はサービスの良い国。
サービス精神に富んだ国民。
盲目的にそんなことを刷り込まれてる感はありませんか?
日本人の感覚としては、頼んでいないことを自発的にすること。
多分このことが多くの場合、サービスが良いということと同義な気がする。
まぁ、簡単に言うと、秀吉が信長の草履を懐で温めた的なこと。
紙一重ですよね。
一歩間違えたら頼んでないことするんじゃねーよ。ってなる。
と言うか、そもそも草履を温めた話を海外の方に感心してもらうのは難しい。
ただ、オリンピックなんかでも海外の選手に、さりげない気遣いで驚かれてることもある。
そんな記事を見かけると嬉しくなるのは事実です。
さてレストランや飲食に戻して話をすると、
頼んでないことをさりげなく行うことは美徳ではある。
水の入ってないグラスを見かけたら足してあげる。
お客様の脱いだ履物をキチンと揃えておく。
お上着をお預かりする、ひざ掛けが必要か尋ねる。
別に悪いことではないし、そんなこと当たり前のことでもある。
それらすべての行動は以前も書いたが、多くの場合は訓練の結果出来ていること。
先輩に厳しく教えられる。マニュアルを完全に履行する。
これこそが日本でのサービスの基本であり、基準でもある。
つまり、頼まれてないけどこのことや、このことはきっちりやるようにと、
そう躾けられてるからそうするという、実に生真面目なお仕事なのです。
僕が求めるサービスってそんな事じゃない。
例えば高級なレストランで食事をしている時、
不慣れな方にさりげない笑いを与えられる人。
ちょっとお皿とフォークナイフが大きな音を立ててしまったとき、
他のお客様に向かって素敵なジェスチャーで何でもないよって伝えられる人、
難しい名前の料理を、難しいことがわかる人にはその人が気持ちよくなるよう伝え、
難しいことがわからなそうな人には、美味しさが伝わるように伝える。
もちろんそれを見抜く目を持ってないと駄目だけどね。
そんなことを颯爽と出来るといいな。
マニュアルや躾では出来ないこと。
感性と思いやりと、プロ意識が作り出す「サービス」が欲しい。
教えられたことと状況が違った時、
マニュアル外の対応をしてくるお客様がいる時、
そんな時ほど本物のサービスが必要になる。
そしてそんな本物のサービスにはなかなか日本では出会わない。
昔フランスに住んでいた時、
カフェでピシェットという陶器の入れ物でワインを頼んで飲んでいて、
僕の不注意で倒してしまったんだよね。
数杯分のワインが入ってたけど、軽い惨事になってしまってね、
でもギャルソンが本当に踊るように現れて、
鼻歌歌いながら片付けてしまうんだよね。
もちろん僕はごめんなさいって謝ってたんだけど、
次に僕の前に現れた時に彼は、なみなみワインの入った少し小さめのピシェットを
テーブルに置きながら、「飲んだ分は引いといたよ!」ウィンクも決めていった。
全てに粋。
こぼしたものを単純に取り替えた場合の周りの客への配慮、
小さめのピシェットだけど、入ってる量的には同じか多いか…。
そしてウィットに富んだ笑顔と仕草。
教えられて出来るのは当たり前。
非常事態や、ノーマルでないことが起こった時にこそ、
サービスという仕事に従事してる人の能力が試されると思う。
国際感覚のあるサービスを身に纏うことによって、
日本人らしい躾としてのサービスも更に生きてくるような気がする。
日本の場合はお客側が、いまだにサービス業事態を低く見てることが問題。
お客様は神様です思想が抜けきってないことも根深いかな。
でも意外とそこは語源だけは合ってたりするんだよね。
サービスは奴隷が語源。ラテン語が大元だけど、
英語ではスレイブかな。
この言葉を元に作られた言葉だけど、
長い年月の間に「サービス」は必要不可欠で尊い仕事と変わっている。
そのことをたくさんの方に理解してほしいな。
個人的には、全く個人的にはですよ。
海外ドラマの「スーツ」ってあるじゃないですか?
あの主人公の弁護士と、相棒の普段の会話くらいにお洒落な会話が出来れば、
きっと凄く素敵なサービスマンが出来上がりそうな気が……。
わかります?