善悪とは何で誰が判断するのかという話になりました。
法律などなくても、人を傷つける行為は罪になることはわかるはずですが、様々な理由を付けて正当化してしまう犯罪者もいます。
この善悪で天国に行くか地獄に行くか死後決まるのですが、逆に善行だと思っていた事が悪いことであり、地獄(暗闇)に落ちることもあります。
私は善と悪を法に照らし合わせ考えるよりも、相手を自分や小さな子に置き換えて考えたほうがわかりやすいのかなと思います。
ある投資詐欺の加害者が、守護霊から護られていると思い込んでいました。
またある人は他人と比較ばかりしては妬み、嫌がらせをし、表面上は良い人に見えますが人の不幸を喜んであら捜しばかりし、しかし龍神様がついていると自分で言っています。
前者は他人を騙してお金を巻き上げています。
この投資詐欺師は、同じ様に誰かにお金を騙しとられても良いのでしょうか。それとも良くないことだと思っているのでしょうか。
後者は、人を妬み、他人の不幸を喜ぶ人も、些細な妬みを理由に嫌がらせをされ、不幸を喜ばれて嬉しいのでしょうか。
自分がされて嫌なことは悪行で、するべきではない。
自分がされて嬉しいことは善行で、すすんで行うべき。
どちらに当てはまるかでわかると思いますが、それでもおかしな解釈をする人がいるかもしれませんから、
小さな子供の純粋な気持ちで考えればもっとわかりやすいのかなと思います。
遊んでいたおもちゃを他の子から奪われたら悲しいですよね。これは投資詐欺の被害者の気持ち。
新しいおもちゃで遊んでいると他の子におもちゃを取り上げられ、壊されたり、それで泣いていると指を指して笑う、これは後者の妬み、人の不幸を喜ぶ人と同じ。
とても善行には見えませんし、はっきりわかる投資詐欺より意外に後者の方が罪深いようにも見えてしまいます。(勿論、大人になり被害の規模が違えば命の危険もありますから投資詐欺は十分罪の重い悪です。)
相手の気持ちや、子供の気持ちに置き換えれば
善悪はわかりやすいように思いますし、小さく見える罪が大きくも感じますね。
大きな犯罪を犯さなくても人は普段から大きな罪を犯す可能性があることもここからわかります。
自分が嫌だと思うことを他人にせず、無意識にすらしていなかったか内省していく、大切な事ですね。