マロンは再入院になった。お尻の腫瘍は明らかに大きくなっていて、それが尿道を圧迫してしまっていた。ここ2日は躰からも尿のような匂いがしていたので、ひょっとしてと思っていた。前回餌を食べたのが11月30日。それ以降全く食べてないため、体重は加速度的に減少してしまった。このままだと自然衰弱して今年はもたないかもしれないとのこと。ひとまず点滴での栄養補給とインターフェロン治療を再開することになった。現実を直視すればもう近くまで迎えが来ているのかもしれない。入院させたのが良かったのかはわからない。せめて年が越せれば・・・なんて思うのは、あくまで人間的感覚でしかないのだから。延命の見極めは難しい。末期ガンだった父は、病院の個室で誰に看取られることもなく、母の誕生日の真夜中に一人で逝った。体中の臓器から出血して家ではもうどうしようもできない状態で入院した矢先だった。家にいたとしても同じことだったかもしれないが、全身の症状と年齢的なことも考えれば、もう残っている命は短いとわかっていたのだから、苦しい抗ガン剤治療などさせなければよかったという悔いはずっと残っている。マロンの命も同じだ。手術はもちろん、全身麻酔できるだけの力すらもう残っていない。入院させてしまったのは、現実の「死」から自分が逃げたがっているだけなのではないか、とふと考えてしまう。



遠足?と言われるほど遠い我が家に辿り着くためには、時刻表は必須アイテムである。本数が少ないため、電車の時間まで駅ビルなどで時間を潰さなければならないことが時々あるのだが、最近はビーズやスパンコールや刺繍で胸元を飾ったカットソーやアンサンブルが本当に多い。これが私を誘惑する。こう見えて刺繍が大好きなのだ。ディスプレイされていると、思わず寄っていって模様や色の組み合わせを見てしまう。今日の昼休みも、福助のブティックにディスプレイされていたストッキングの綺麗な刺繍に見とれてしまった。確かに昔から歌舞伎に行っても役者の着物の模様ばかり見てしまったり、結婚式に呼ばれても打掛の絹糸で綴られた刺繍ばかりに目がいってしまったりしていたっけ。先日も刺繍の見事な帯揚げをオークションで発見、格安だったのでなんとかスカーフとして使えないだろうか?と購入したものの、やはり使い勝手が悪かった。この殺伐としたOL稼業をいつか全うしたら、やりたいことは山のようにあるのだけれど、そのうちのふたつが刺繍の研究と本の装丁の勉強。いつかこれを組み合わせて、刺繍と革で装丁した世界でひとつしかない本を自分の手で作れればいいなと思っている。



5つ目のレポートについにリーチ。行き帰りの電車の中でと帰宅後の怒濤の追い込みで、なんとかおおざっぱにまとめたので、明日の昼休みにでも会社で編集すれば、とりあえずギリギリ締切に間に合いそう。今回の課題となったレポートは、大乗仏教の思想、現代における狂言の在り方、バロック美術とゴシック美術の違い、西鶴の浮世草子、中世日本の絵巻物といった実生活には全く結びつかないようなテーマばかりで苦労した。内容はともかく、ひとまず放棄せずに済んだということで、自分を誉めてあげることにしよう(笑)。


マロンは久々に餌を食べた。昨日の夜、お風呂に入る私のあとをヨタヨタ付いてきたため、ひょっとして元気が少し戻ってきたかもと期待していたら、今日の昼になって少しずつ食べ始めたようだ。朝と晩、いやがるのを無理やり押さえつけて口から抗生物質と消炎剤、鼻の頭に鼻水が固まらないようにする薬、そしてお尻の腫瘍に塗り薬と3種類を与えなければならないのがちょっと大変。


朝起きるとマロンがぐったりして目もうつろだったため、すぐに動物病院へ。腫れている部分に芯があり、やはり腫瘍の可能性が高いようだ。先生も正直さじを投げている様子でもう入院させようとしない。とりあえず家に連れ帰るも、全く餌も食べず水も飲まず、うずくまるばかり。ベッドの布団のうえに寝かせてしばらく様子を見守る。従って目前に迫るレポートもベッドの中で作成。やがて布団の中に入ってきて、私の腕にお腹をのせ、枕に頭をのせてぐっすり眠り込む。こうなると片手でテキストも持てず、一緒に昼寝(ちなみに打ち身の左腕に3.8キロはかなりハード)。夕食のあとは、DASH村を見ながらマロンのお腹のマッサージを15分(腫れているせいか、トイレにも行かないため)。今は私の足元のカーペットの上で寝ている。できるだけ人のそばにいたいのだろうか。明日からまた会社。心配は尽きない。



マロンが2週間ぶりに病院から戻ってきた。ここ3日間は少し食べるようになってきたので、ひとまずおうちに帰っていいですよということになり、連れて帰ってきた。自宅前の長い階段の前でタクシーを降りると、もう家の気配を察して騒ぎ出す。やはり戻って来たのは猫なりに嬉しいらしく、1階と2階をくまなく探検している。どうやら全く見えないという状態ではなさそうだし、聴覚異常はあるものの特に苦しそうな様子はない。えさも食べて少し安心。この状態が少しでも長く続きますように。苦しまずに生きられますように。


人が辞める。出向先から戻ってきたばかりの若者はさっさと転職、そして今年うちのチームに加わったばかりの40代半ばの男性は、移動願いがついにかなって他の部署に移った。この会社に入って7年目。ホントにたくさんの人たちを見送ってきた。次はひょとして自分の番か?なんて漠然と考えたりもする。今さら新しい人間関係を1から築くのは、想像以上にきついのは百も承知。それでも、どんどん辞めていく人たちの後ろ姿を見送ってきて、彼等が離れる理由はよくわかるし、そんな理不尽の固まりのなかでずっと生き残っている自分は何なんだ?という疑問と呵責のような後ろめたさは常につきまとっている。


「虎口からの脱出」は、日本ではめずらしい痛快冒険小説で、史実とフィクションの狭間をカーチェイスでぶっ飛ばしていく。目指すところは逢坂剛にも似ているような気がするが、絞り込んだ文体の完成度とスピーディーな展開という点においては、逢坂剛のほうがよりエンターテインメントに近いと思う。