菅内閣の支持率が落ち込んでいる。
7月には10%台に突入したようだ。
まぁ、今となってはどうでもいいことだが。
だって、10%も20%も同じでしょ。
それ以上に、菅内閣が発足した当時、支持率が40%くらいあったことが不思議で仕方がない。
この「不思議で仕方がない」というのはオブラートに包んだ表現であって、実際は「バカな国民が多いなぁ」という意味である。
鳩山内閣から菅内閣に変わったときに一体何を期待したのか、その40%の人たちにぜひ聞いてみたい。
もはや民主党政権は手を打ち尽くしていた、いや、打てる手がなくなっていたのは既に明らかだったと思うのだが。
はっきり言うが、
私は20歳から何回かの国政選挙に欠かさず参加しているが、2009年の総選挙までは毎回「民主党」および「民主党の候補」に投票してきた。
一度の例外もなく、である。
なぜか。
理由は単純。
政権交代を実現するため。
そして、民主党が野党第一党だったから。
私は、この選択が失敗だったと思ったことはない。
民主党政権が誕生し、公約を破りまくって、下らない政局争いをしているときでさえ。
何よりも、私は民主党に投票したというより「政権交代」に投票し続けた。
そして、それは実現した。
自民党の族議員たちが力を失い、癒着が確実に剥がれ落ちた。
これだけで、10年以上同じ政党に投票し続けてきた成果があったと確信している。
もう十分ではないか。
もともと、民主党の掲げていた、あんな訳のわからない公約を実現できるはずもないし、そもそも2009年に民主党代表選挙で鳩山由紀夫が岡田克也に勝利した時点で、民主党に改革の意思がないことは分かり切っていた。
でもそれで構わないと思う。
とにかく、政権交代を実現したのだから、民主党がそれまで(政権交代を実現するまで)やってきたことは間違っていなかった。
マスコミも国民も、この点はきちんと賞賛してあげた方が良い。
なんか最近、民主党のアホな政策や発言にかこつけて「政権交代は失敗だった」かのような意見を述べる人間がいるが、何を言っているのだろう。
今までの自民党政権のままで良かったはずがないじゃないか。
盲目じゃなかろうか。
とにかく、総選挙で勝利した時点で民主党はその役割を終えた。
もう十分に仕事をした。
あとは、次のことをさっさと考えるべきなのだ。
私は当然ながら、もう民主党には投票しない。
これは政策うんぬんではなく、最初から決めていたことだ。
民主党の存在意義は、「政権交代を実現する」という、ただ一点のみにあった。
そんなわけで、2010年の参議院選挙は「みんなの党」に投票した。
しばらく投票し続けるだろう。
政権交代の次の政治の仕事は公務員制度改革である。
そして、それが(かろうじて)実現できそうなのは既存政党では「みんなの党」くらいだし、「みんなの党」の存在意義は「公務員制度改革を実現する」という、ただ一点のみにある。
だから「みんなの党」の経済政策や外交政策などに興味はない。
「みんなの党」が公務員制度改革をしている間、経済も外交も滞ればいいのだ。
公務員制度改革にはそれだけの価値がある(言い換えるなら、国益がある)し、また、それだけの犠牲を払わなければ実現できない政策である。
どっちにしたって、公務員制度改革もしながら経済も外交も国会対策も選挙対策も完璧です!なんて政党があるはずないでしょ。
「みんなの党は経済とか外交が弱いから、与党は任せられないよね」なんて言う人は、立候補すればいいのだ。
もう2日前のことになるが、
8月15日その日に靖国神社へ参拝した。
戦争が終わったその日は、まさに英霊たちに
感謝を捧げるのに相応しい日のように感じる。
しかし実際はそうではない。
その後に千島へ攻め込んできたソ連軍、
そして極東軍事裁判。
さらにはサンフランシスコ平和条約。
あらゆる形の戦争がまだ続いていた。
なぜそのことを知らなかったのだろう。
なぜそのことをきちんと子供たちに教えないのか。
なぜそのことをきちんと大人たちは言わないのか。
東京大空襲では一晩で10万人の非戦闘員が亡くなった。
原爆は二発で30万人の国民を殺した。
南京大虐殺はすでに証拠が捏造であるということが証明されている。
従軍慰安婦問題では確たる証拠は一つも出てきていない。
日本は台湾の民主化に大きく貢献した。
韓国の民主化にも大きく貢献した。
日本での終戦の後、アジア諸国では日本を手本として独立が相次いだ。
世界の白人支配を終わらせた。(まだ完全ではないけれど)
靖国神社には、日本という国の正しい姿がある。
懐古の情や慰めなどではなく、最低限、あくまで最低限の、日本人としての姿勢が示されているに過ぎない。
「240万余の英霊たちの存在があって、今の自分が存在している」
そんな当たり前の事実を、当たり前に受け取る姿勢。
いつからなくなってしまったのか。
日本人のモラルは低下し、
犯罪率は上昇を続け、
少年犯罪は低年齢化が進み、マナーも節度も無くなっていく。
こんな状態を少しでも食い止めるためには、
僅かでも日本という国をより良くしたいと願うならば、私は徴兵制しかないと考えている。
民主主義国家には必ず義務と責任が伴うことを、子供たちに教えなければならない。
安全はタダではないことを。
自由はタダではないことを。
自分の国は自分で守ることを。
靖国神社はそのことを教えてくれる。
徹底したモラルの中にこそ、人間を真の人間足らしめんものが生まれてくるのだ。
欲望を追求する。
お金を追求する。
快楽を追求する。
そういった価値を至上のものとして、
それは人間といえるのか。
靖国神社で誓える人がどれだけいるのか。
自分が人間である、と。
自分が日本人である、と。
平和を手に入れるために、対価を支払う用意がある、と。
なぜそのことを今まで誓わなかったのだろう。
なぜそのことを子供たちは誓わないのだろう。
なぜそのことを大人たちは誓わないのだろう。
8月15日その日に靖国神社へ参拝した。
戦争が終わったその日は、まさに英霊たちに
感謝を捧げるのに相応しい日のように感じる。
しかし実際はそうではない。
その後に千島へ攻め込んできたソ連軍、
そして極東軍事裁判。
さらにはサンフランシスコ平和条約。
あらゆる形の戦争がまだ続いていた。
なぜそのことを知らなかったのだろう。
なぜそのことをきちんと子供たちに教えないのか。
なぜそのことをきちんと大人たちは言わないのか。
東京大空襲では一晩で10万人の非戦闘員が亡くなった。
原爆は二発で30万人の国民を殺した。
南京大虐殺はすでに証拠が捏造であるということが証明されている。
従軍慰安婦問題では確たる証拠は一つも出てきていない。
日本は台湾の民主化に大きく貢献した。
韓国の民主化にも大きく貢献した。
日本での終戦の後、アジア諸国では日本を手本として独立が相次いだ。
世界の白人支配を終わらせた。(まだ完全ではないけれど)
靖国神社には、日本という国の正しい姿がある。
懐古の情や慰めなどではなく、最低限、あくまで最低限の、日本人としての姿勢が示されているに過ぎない。
「240万余の英霊たちの存在があって、今の自分が存在している」
そんな当たり前の事実を、当たり前に受け取る姿勢。
いつからなくなってしまったのか。
日本人のモラルは低下し、
犯罪率は上昇を続け、
少年犯罪は低年齢化が進み、マナーも節度も無くなっていく。
こんな状態を少しでも食い止めるためには、
僅かでも日本という国をより良くしたいと願うならば、私は徴兵制しかないと考えている。
民主主義国家には必ず義務と責任が伴うことを、子供たちに教えなければならない。
安全はタダではないことを。
自由はタダではないことを。
自分の国は自分で守ることを。
靖国神社はそのことを教えてくれる。
徹底したモラルの中にこそ、人間を真の人間足らしめんものが生まれてくるのだ。
欲望を追求する。
お金を追求する。
快楽を追求する。
そういった価値を至上のものとして、
それは人間といえるのか。
靖国神社で誓える人がどれだけいるのか。
自分が人間である、と。
自分が日本人である、と。
平和を手に入れるために、対価を支払う用意がある、と。
なぜそのことを今まで誓わなかったのだろう。
なぜそのことを子供たちは誓わないのだろう。
なぜそのことを大人たちは誓わないのだろう。
期待してDVDを観たのだが、なかなかの映画。
特に最後のあたりの展開はなかなか衝撃的だったのではないだろうか。
ただ、もちろん詳細には触れないが、最後の展開は聊か(いささか)ファンタジックな、非現実的な感が拭えない。
映画としては、84点くらい。
ただし、映画のテーマとなっている死刑制度に関しては
良い問題提起になっていると思う。
その意味だけでも、この映画が存在する価値は十分にある。
私はこの件に関しては、昔から死刑制度に反対する立場をとったことはない。
常に賛成である。
大多数の日本人と同じように。
死刑制度に反対する人間の意見はほとんどが以下に分類される。
1.死刑は犯罪の抑止力にはならない。
2.冤罪であった場合、取り返しがつかない。
3.国家が殺人を犯すことは許されない。
まず、1については議論が不要であることはすでに明らかになっている。
死刑は連続殺人や内乱罪などに適用されるが、その加害者が死刑を恐れて犯行を思い留まることは
まず有り得ない。
つまり、死刑は犯罪の抑止力にはならない。
そして2については、もっともな意見である。
失った命は戻ってこない。
そして如何なる国家にも、
如何なる警察組織にも、
そして如何なる人間にも、
ミスは存在する。
ただし、それはミスを減らしていく議論をすべきであり、そのために死刑制度を廃止するというのは論理の飛躍である。
言い換えれば、冤罪であった場合には懲役刑であっても時間は戻ってこない、という意見でも良い。
そして、3に対する反論とも繋がるが
国家という共同体を作ってしまった以上、
異分子を排除する動きは必要不可欠である。
これは国家でなくても良い。
あらゆる共同体、コミュニティーがあれば、
そこには排除が存在する。
まったく排除をなくそうというのは
ハートウォーミングな理想論に他ならない。
一つの例を挙げれば、
このところ増えてきている女性専用列車。
男性を排除する。
私は女性専用列車には賛成だが、
男性を排除していることには変わりない。
死刑も同じ理由である。
痴漢をしそうな男性は、専用車両から排除される。
凶悪な犯罪を犯した者は、共同体から排除される。
凶悪な犯罪者に社会復帰のチャンスを与えるくらいなら、
まだ痴漢をしていない男性は、どの車両に乗っても良いのではないか。
ただし、先ほども述べたように、
私は女性専用列車には賛成である。
過去のデータから、痴漢をする男性が実際にいるからである。
同じ理由で、死刑制度にも賛成である。
過去のデータから、死刑になる人間は凶悪な犯罪を犯しているのだ。
最後に重要な点を三つ指摘しておきたい。
一つ目は、社会復帰させる意味のない人間も確かに存在する、という点。
人権を笠に好き他手言う者がいるが、
どう考えても、社会に有益にならない者は存在する。
もちろん、進んでその判断をしてはならない。
それは人種差別というものだ。
そうではなく、
すでに社会に完全に不適合である、
共同体にとって不利益をもたらす存在である、
そのことを自らの手で証明してしまった者は、やはり排除されなければならない。
二つ目に、終身刑というものについて。
死刑制度の反対論の中で唯一的を得ている論は、終身刑を適用しろというものである。
そこで人権云々を持ち出してくると、簡単に反論も可能だが「死刑にして犯罪者を簡単に楽にしてしまうよりも、終身刑のほうが犯罪者に永く苦痛を与えることが出来る」
という意見には耳を傾けざるを得ない。
これに対しては反論は出来ないので、最終的には個々の判断に委ねられるのだろう。
被害者の遺族に決めさせても良い。
その意味では、死刑賛成論者のほうが犯罪者に対して優しいのではないだろうか。
そして忘れてはならないが、
終身刑になった者は税金で養い続けるのだ。
三つ目に、これは当たり前であるが
死刑を適用する際の基準を明確にすることだ。
逃げてはいけない。
被害者の体内に精液が付着している、義務教育に達していない子供が殺害された、明らかに快楽性が見られる。
どこからが死刑なのか。
今すぐにでも明確にすべき問題だ。
アメリカのように
黒人が白人の4倍も死刑になる社会を作ってはいけない。
この日本では、
二極分化が完了する前に、
僅かでもフェアな社会を作っておかなければいけない。
特に最後のあたりの展開はなかなか衝撃的だったのではないだろうか。
ただ、もちろん詳細には触れないが、最後の展開は聊か(いささか)ファンタジックな、非現実的な感が拭えない。
映画としては、84点くらい。
ただし、映画のテーマとなっている死刑制度に関しては
良い問題提起になっていると思う。
その意味だけでも、この映画が存在する価値は十分にある。
私はこの件に関しては、昔から死刑制度に反対する立場をとったことはない。
常に賛成である。
大多数の日本人と同じように。
死刑制度に反対する人間の意見はほとんどが以下に分類される。
1.死刑は犯罪の抑止力にはならない。
2.冤罪であった場合、取り返しがつかない。
3.国家が殺人を犯すことは許されない。
まず、1については議論が不要であることはすでに明らかになっている。
死刑は連続殺人や内乱罪などに適用されるが、その加害者が死刑を恐れて犯行を思い留まることは
まず有り得ない。
つまり、死刑は犯罪の抑止力にはならない。
そして2については、もっともな意見である。
失った命は戻ってこない。
そして如何なる国家にも、
如何なる警察組織にも、
そして如何なる人間にも、
ミスは存在する。
ただし、それはミスを減らしていく議論をすべきであり、そのために死刑制度を廃止するというのは論理の飛躍である。
言い換えれば、冤罪であった場合には懲役刑であっても時間は戻ってこない、という意見でも良い。
そして、3に対する反論とも繋がるが
国家という共同体を作ってしまった以上、
異分子を排除する動きは必要不可欠である。
これは国家でなくても良い。
あらゆる共同体、コミュニティーがあれば、
そこには排除が存在する。
まったく排除をなくそうというのは
ハートウォーミングな理想論に他ならない。
一つの例を挙げれば、
このところ増えてきている女性専用列車。
男性を排除する。
私は女性専用列車には賛成だが、
男性を排除していることには変わりない。
死刑も同じ理由である。
痴漢をしそうな男性は、専用車両から排除される。
凶悪な犯罪を犯した者は、共同体から排除される。
凶悪な犯罪者に社会復帰のチャンスを与えるくらいなら、
まだ痴漢をしていない男性は、どの車両に乗っても良いのではないか。
ただし、先ほども述べたように、
私は女性専用列車には賛成である。
過去のデータから、痴漢をする男性が実際にいるからである。
同じ理由で、死刑制度にも賛成である。
過去のデータから、死刑になる人間は凶悪な犯罪を犯しているのだ。
最後に重要な点を三つ指摘しておきたい。
一つ目は、社会復帰させる意味のない人間も確かに存在する、という点。
人権を笠に好き他手言う者がいるが、
どう考えても、社会に有益にならない者は存在する。
もちろん、進んでその判断をしてはならない。
それは人種差別というものだ。
そうではなく、
すでに社会に完全に不適合である、
共同体にとって不利益をもたらす存在である、
そのことを自らの手で証明してしまった者は、やはり排除されなければならない。
二つ目に、終身刑というものについて。
死刑制度の反対論の中で唯一的を得ている論は、終身刑を適用しろというものである。
そこで人権云々を持ち出してくると、簡単に反論も可能だが「死刑にして犯罪者を簡単に楽にしてしまうよりも、終身刑のほうが犯罪者に永く苦痛を与えることが出来る」
という意見には耳を傾けざるを得ない。
これに対しては反論は出来ないので、最終的には個々の判断に委ねられるのだろう。
被害者の遺族に決めさせても良い。
その意味では、死刑賛成論者のほうが犯罪者に対して優しいのではないだろうか。
そして忘れてはならないが、
終身刑になった者は税金で養い続けるのだ。
三つ目に、これは当たり前であるが
死刑を適用する際の基準を明確にすることだ。
逃げてはいけない。
被害者の体内に精液が付着している、義務教育に達していない子供が殺害された、明らかに快楽性が見られる。
どこからが死刑なのか。
今すぐにでも明確にすべき問題だ。
アメリカのように
黒人が白人の4倍も死刑になる社会を作ってはいけない。
この日本では、
二極分化が完了する前に、
僅かでもフェアな社会を作っておかなければいけない。
靖国神社参拝の問題で国が揺れている。
悪いことじゃない。
大いに揺れれば良い。
ただ一つ、
結論から言ってしまえば
「命よりも大切なものはある」
このことだけは言っておきたい。
かつて「人命は地球よりも重い」と言った馬鹿な内閣総理大臣がいたが、それは間違いだ。
命は何かと結びついて初めて意味を持つ。
単純に「命が大切だ」「生きることに意味がある」などと言った結果が今の社会でしかない。
自分の命を懸けるものを見つけたときに、命はその輝きを現す。
人間が生きる目的を持ったときに、
命は価値のあるものになる。
60年以上前、
若い人々の命が輝いた瞬間があった。
若い人々の命が価値を持った瞬間があった。
そして、価値を持った命はあっさりと失われた。
朝鮮や
中国や
沖縄や
フィリピンや
インドネシアで。
彼らは命よりも大切なものを見つけ、
だからこそ命を大切にしたいと願い、
そしてその願いは叶えられなかった。
しかしその命のお陰で東南アジアの国々は独立を果たし、
日本の平和があり、、
のほほんと暮らせる私たちの生活がある。
靖国神社には彼らの「思い」が残されている。
そこに行けば彼らの「命の価値」を感じることができる。
そんな場所を作れるもんか。
国立追悼施設なんてものが、
「命の重み」に耐え切れるはずもない。
家族に
恋人に
自分の住む町に
天皇陛下に
日本という愛すべき国に
「命の価値」を見出して、彼らは死んだ。
その思いは
「靖国神社で会おう」
という言葉に凝縮された。
その約束を反古にはできない。
彼らはいつまでも待っている。
「靖国神社」に「天皇陛下」が参るのを。
それを実現するのが
彼らの「命の重み」に対する礼儀ではなかろうか。
悪いことじゃない。
大いに揺れれば良い。
ただ一つ、
結論から言ってしまえば
「命よりも大切なものはある」
このことだけは言っておきたい。
かつて「人命は地球よりも重い」と言った馬鹿な内閣総理大臣がいたが、それは間違いだ。
命は何かと結びついて初めて意味を持つ。
単純に「命が大切だ」「生きることに意味がある」などと言った結果が今の社会でしかない。
自分の命を懸けるものを見つけたときに、命はその輝きを現す。
人間が生きる目的を持ったときに、
命は価値のあるものになる。
60年以上前、
若い人々の命が輝いた瞬間があった。
若い人々の命が価値を持った瞬間があった。
そして、価値を持った命はあっさりと失われた。
朝鮮や
中国や
沖縄や
フィリピンや
インドネシアで。
彼らは命よりも大切なものを見つけ、
だからこそ命を大切にしたいと願い、
そしてその願いは叶えられなかった。
しかしその命のお陰で東南アジアの国々は独立を果たし、
日本の平和があり、、
のほほんと暮らせる私たちの生活がある。
靖国神社には彼らの「思い」が残されている。
そこに行けば彼らの「命の価値」を感じることができる。
そんな場所を作れるもんか。
国立追悼施設なんてものが、
「命の重み」に耐え切れるはずもない。
家族に
恋人に
自分の住む町に
天皇陛下に
日本という愛すべき国に
「命の価値」を見出して、彼らは死んだ。
その思いは
「靖国神社で会おう」
という言葉に凝縮された。
その約束を反古にはできない。
彼らはいつまでも待っている。
「靖国神社」に「天皇陛下」が参るのを。
それを実現するのが
彼らの「命の重み」に対する礼儀ではなかろうか。
狂牛病。いわゆるBSE。
このニュースを聞くたびに思う。
人間は、踏み込んではいけないはずの領域に、あまりに無神経に歩を進めている。
狂牛病の原因は、
もともとは羊に起こったスクレイピー(いわゆる狂羊病)ではないかと言われている。
その羊の肉骨粉を牛に与えたことが原因ではないか、と。
まだ確定されたわけではないが、
やはり草食動物である牛に、同じ草食動物の骨を食べさせること自体がタブーに触れていることは明白だ。
しかもそれだけに留まらず、
感染した牛を更に別の牛に食べさせるという暴挙に出てしまった。
共食いがタブーであることは原始からの常識である。
パプアニューギニアの奥地に住む食肉人種の間で流行したクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病の一種)の症状は狂牛病と同じだ。
この世界から着実にタブーが減っている。
そのこと自体は決して悪いことではない。
今までタブーと言われ続けてきたものに、意味のないものも多い。
しかし確実に、
この世界の中には、
人間ごときが手を付けてはならない領域がある。
近親相姦しかり。
クローン人間しかり。
人間が手を付けてはいけないものに手を付けてしまったとき、そこには必ず災いが降りかかる。
これは非科学的な予感ではない。
現代の科学では単に解明できていないだけの問題。
タブーをタブーとするか否か、その判断は宗教観にかかっている。
科学では解明できないもの。
まさにそのもののために宗教は存在する。
宗教観を多くの人間が失っていくにつれて、
この世界からタブーがなくなっていき、
そして人類には災いが降りかかる。
牛の骨を牛に食べさせることにより、人間の脳に穴が開く。
過剰なまでに人間に都合の良い環境に世界を変えたことにより、地球の生態系が崩れていく。
不自然なまでに人口と人間の寿命を延ばしたがために、食糧が足りなくなる。
すべて同じことだ。
自分がモラリストであるつもりはない。
だが、一度くらい考えてみてもいいじゃないか。
人間の行方について。
地球の行方について。
このニュースを聞くたびに思う。
人間は、踏み込んではいけないはずの領域に、あまりに無神経に歩を進めている。
狂牛病の原因は、
もともとは羊に起こったスクレイピー(いわゆる狂羊病)ではないかと言われている。
その羊の肉骨粉を牛に与えたことが原因ではないか、と。
まだ確定されたわけではないが、
やはり草食動物である牛に、同じ草食動物の骨を食べさせること自体がタブーに触れていることは明白だ。
しかもそれだけに留まらず、
感染した牛を更に別の牛に食べさせるという暴挙に出てしまった。
共食いがタブーであることは原始からの常識である。
パプアニューギニアの奥地に住む食肉人種の間で流行したクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病の一種)の症状は狂牛病と同じだ。
この世界から着実にタブーが減っている。
そのこと自体は決して悪いことではない。
今までタブーと言われ続けてきたものに、意味のないものも多い。
しかし確実に、
この世界の中には、
人間ごときが手を付けてはならない領域がある。
近親相姦しかり。
クローン人間しかり。
人間が手を付けてはいけないものに手を付けてしまったとき、そこには必ず災いが降りかかる。
これは非科学的な予感ではない。
現代の科学では単に解明できていないだけの問題。
タブーをタブーとするか否か、その判断は宗教観にかかっている。
科学では解明できないもの。
まさにそのもののために宗教は存在する。
宗教観を多くの人間が失っていくにつれて、
この世界からタブーがなくなっていき、
そして人類には災いが降りかかる。
牛の骨を牛に食べさせることにより、人間の脳に穴が開く。
過剰なまでに人間に都合の良い環境に世界を変えたことにより、地球の生態系が崩れていく。
不自然なまでに人口と人間の寿命を延ばしたがために、食糧が足りなくなる。
すべて同じことだ。
自分がモラリストであるつもりはない。
だが、一度くらい考えてみてもいいじゃないか。
人間の行方について。
地球の行方について。
