今回は『闇市』だ。

太平洋戦争後にはじまった広がった違法の市場だ。


それにしても、闇市とはすごいネーミングだね。

なんといっても“闇”だもの。

決して表舞台には姿を現さない、

強大な権力を非情に振りかざすあの男が潜む世界。

闇という言葉からは、こんなイメージが沸くかもしれない。


はたまた、何も見えない真っ暗闇のなかを歩いていると、

小石につまづいて・・・
「んっ!?」

ムギュッとやわらかい、この感触・・・

「どこ触ってんのぉ!!」と、ギャルからビンタを喰らう。

古典派の僕には、

こんなギャグマンガのシチュエーションが馴染みぶかい。

いずれにせよ、“闇”という言葉に良いイメージを持つ人は少ないだろう。

だから闇市なんて言うと、

とんでもないものが、

とんでもない方法で売られていそうな気がするかもしれない。

でも、実際に売っていたのは生活必需品。

そして、この闇市にも、“あるもの”思考が隠れていたのだ。


1945年、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦国となった。

戦時中は、あらゆる家庭で軍需産業のお手伝いをしていた。

軍用の炊飯や水筒などを作っていた。

ところが、その最中に戦争が終わってしまったのだ。

いったい作ったものをどうすればいいのか。


そこに目をつけたのが、

その後闇市を作る『尾津組』というテキ屋の親分だ。

「平和になっても使えるものだから、適正価格で大量に買取ます」

と、広告を出した。

もてあましている物を引き取って金までくれるというのだから、

みんな喜んで売りに行ったことだろう。


それからすぐ後、買い取った物を売る露天商が、

新宿の焼け跡に姿を現した。

闇市のスタートだ。

空襲でやられたり、鉄を国に徴収されたりしたために、

当時は生活必需品も足りなくなっていた。

そんなニーズに答えてくれる闇市なのだ。

売れないわけがない。


闇市がにぎわえば

「店を出させてくれ」という要望も集まってくる。

みかじめ料まで入ってきて、

笑いが止まらないという状況になったことだろう。



当時、ほとんどの国民は敗戦のショックで思考停止になっていたはずだ。

生活必需品もなければ、食べ物もないひもじさだ。

一方で、

「今、何があるか?」に目をつけ、

すぐに手に入れて商売を開始したテキヤの親分。

最初に気がついた人間のメリットで、

勝手にお金が流れ込んでくる仕組みまで作ってしまった。

ちなみに親分が、軍需品を買い取ります、

という広告をだしたのが、戦争終了の3日後だそうだ。

その抜け目のなさには驚かされる。


ピンチを利用してビジネスを成功させた親分と、その他の一般国民。

君ならどちらになりたいか?




「でも闇市って、ぶっちゃけ違法なんでしょ・・・」

君の得意の正論だ。


たしかに違法だ。

当時は、戦争中に作られた『食料統制法』なんて法律もあった。

食料の配給や値段などをコントロールしようという意図だ。

だから、米を闇市に出回られることなどは、違法だ。


でも、でもだ。

法律だからって、守っていたら死んでしまうんだ。

大人しく配給を待っていたら、餓死するんだ。

当時の大蔵大臣が

「一千万人が餓死するかもしれぬ」と発言した状況なのだ。

しかし、実際に餓死した人は、

一千万人よりもずっと少ない人数だったのだ。

この闇市があったから救われた命がたくさんあったのだろう。





このときの政府は何を国民にしたか。
何をどうしていいのか分からず、

通り一遍のルールを押し付けるだけだ。

一方、闇市は、需要と供給を調整し

消費者に必要なものを提供する役割を果たした。

結局、違法なヤミ市のほうがずっと役に立っていたのだ。

僕は、国民が生き延びるために貢献した闇市を称えたい。

民間の力、ビジネスの力を感じる。




当時の朝日新聞に、作家の石川達三さんという方が書いている。

 「日本に『政府』はないのだ。

少なくとも吾々の生存を保証するところの政府は存在しない。

これ以上政府を頼って巷に餓死する者は愚者である」と。


3.11の大震災は敗戦になぞらえることも多いが、

この記事が、現代の日本のことを言っている気すらするのは僕だけか。



ヤミ市という認められなかった存在とはいえ、

あるものに目をつけて商売を成功させた人がいた。

そして、人の命を救う仕組みを作り出したのだ。





参考図書 「昭和史 戦後篇1945-1989」(半藤一利著・平凡社)