『がんばらなくていい』
って、最近はいろんな本に書いてある。
そして、
私は、
そこをとっくにクリアしてると思ってた。
“がんばらないじぶん”をできるようになってると思ってた。
“がんばらないじぶん”を許せてると思ってた。。。
実際、昔から比べると、『全然がんばらないじぶん』をやっている。
『どうしても行きたくない』時は、上手に言い訳して、仕事をサボったりできるようになった。
言い訳に関しては、天才的だ
でも、今の生活 ↓ ↓ ↓
を送るようになって、
いっつも心の中で言い訳をしていた。
カラダ(行動)ではがんばってないけど、
精神的にがんばってる
めっちゃがんばってるじゃん!
って。
一生懸命、正当化しようとしている自分がいた。
誰に言い訳しているのか???
誰に許して欲しいのか???
どうして正当化する必要があるのか???
親?
友達?
知り合い?
世間?
いや、違う。
それは、
まぎれもなく【自分自身】。
言い訳している、正当化しようとしているということは、、、
まだまだ、『今のじぶん』を認めていないんだ。
全然、許していないんだ。。。
って、昨日、
を読ませてもらって、
思わず泣いちゃって。。。
いっぱいいっぱい泣いて気付かせてもらった。
どこまで、“じぶん”を罰し続けるのか。。。
がんばらなくていいよ
ダメじゃないよ
ダメって思うなら、ダメでもいいよ
って、自分で作った
を何度も何度も何度も何度も…聴いて、
ノートにもたくさん書き殴った。
っていうか、
『がんばる』って何だろうね。。。
昔、斎藤一人さんの本に
『頑張る』は、
頑なに(意地を)張る
という意味。
と書いてあったから、
それを知ってからは、
『頑張る』という漢字は使わないようにしている。
それでも
がんばらないと生きている価値がない
という呪縛から抜け出せない(らしい)。
がんばらなくていい
と腹落ちさせるか、
『がんばる』という定義を変えてしまうか。。。
ようやく、最近、自分で『ニート』という言葉を自分に対して使えるようになった。
『起業準備中』と言えば、聞こえはいいけど、
やってることは『ニート』と変わらない
今までだったら恥ずかしくて、怖くてできなかったことをやっている
そんな“じぶん”を、
心の底から認め、
愛して、
癒していこう