できちゃうくせに、罪悪感って何?
自慢なの?
嫌味なの?
もしかして私のこと、バカにしてるわけ?
…そうですよね。
そう受け取る人だっていますよね😭
本当に自慢とかではなく、単なる事実として。
中学3年生の2学期の成績(= 受験用の内申点の基礎点)が、9教科のうち、体育「3」、数学「4」、残り7教科は「5」だったんですよ。
当時は相対評価なので、「5」は学年全体の7%…といった感じで、割合が決まっていました。要は、私が「5」の椅子に座ってしまうと、他の人が座れる椅子が減ってしまう、椅子取りゲーム🪑でした。
当然ながら、それぞれの教科の先生が成績を付けるので、私自身には何の責任もないのですが、
ごめんなさい…
ごめんなさい…
「5」を独り占めしてごめんなさい…
嫌味じゃなくて!
自慢でもなくて!
ましてやバカにしているんじゃなくて!
ただ本当に申し訳なくて…
私のせいで誰かの評点が下がって、その子の受験の足を引っ張ってしまったのかもしれない…
ごめんなさい…
許して…
の罪悪感で死にそうでした。
正直言って、
学校の成績が良いことが私の最大のコンプレックスでした🥺
でもそんなことを、椅子取りゲームの競争相手でもある同級生に零すことはできません。苦しかったです。
「澄夏は良いよね、成績良くて」
「どこの高校だって行けるよねぇ、羨ましい」
「今回の期末考査だって澄夏はできたんでしょう?私なんかさぁ…」
……はい。罪悪感で死にました
曖昧な笑顔で無言で誤魔化し、話題を変える以外、私はどう応じれば良かったのでしょう。
「全然できなったよ~」と言えば嘘になるし、それが嘘であることはみんな知っている。
「ん~、まあまあだったかな」と言えば、「ふーん。あの成績でまあまあなんだ」となる。
「うん。できた😊」と言えば、ただの自慢になる。
〈みんなとは違う〉がギルティである女子中学生にとって、それは過酷な状況でした。
今の私なら、
「別に天才でもないあなたが、家計を気にして塾にも通わず、一所懸命に自力で勉強して、正々堂々と得た評価なんだから、そんなに自分を責める必要はないんだよ。
…ってか、そこで罪悪感を感じるのはおかしいよ。そこはドヤ顔するところでしょう🤣
友達にその話をしなかったのは偉いと思うけど、もうちょっと自分を褒めてあげないと、澄夏ちゃん自身が可哀想だよ」
と声を掛けてあげられるんですけどね😅
もう時効だと思うのでぶっちゃけますが、実は数学も本来は「5」だったんです。
放課後、担任の先生に呼び出されて、頭を下げられました。
「本当は、澄夏は数学も『5』なんだけど、知ってのとおり相対評価なので、澄夏に『5』を付けてしまうと、他の生徒に付けられなくなってしまう。『4』に下げたところで、澄夏の第1志望校の内申点には充分足りるから、どうか譲ってはくれないか。申し訳ない」と。
私に黙って操作する方が簡単だったはずです。そんな裏事情なんて知る由もないですから。
でも、先生はそうはしなかった。私を1人の人間として尊重し、正直かつ誠実に納得できる理由を説明し、謝罪した。
30代の成人男性が、14歳の少女に。
こういった内申点操作や、保護者抜きで生徒本人に直接話した是非は私には判断できませんので、ここでは横に置きます。
ただ、人に向き合う時の基本姿勢を身を持って教えてもらったと考えれば、あの時譲った数学の評点1つより、ずっと価値のあるものを得たと思うのです。結果的に、第1志望校には無事に合格できましたしね🌸