ちょっと肩が痛かった今朝、夫が「あー腰が痛い~」と起きてきた。

その言葉に反射的に「私も肩痛いんだよね~」とつぶやいた。

すると夫が「どうしたの?」「何かあったの?」と聞いてきた。

 

それなのに私は瞬間的に全身がこわばった。少し後ろに下がりたい感覚?

夫は単に私を心配してくれただけ。不快に感じた私は、夫に少し申し訳ない気持ちにもなった。

 

一人になってからその感覚に身を置いて考えた。

このこわばる感覚、後ろに下がりたい感覚、何が言いたいんだろう…

「何も言わないで」

 

・・・思い出した。

子どもの頃、私が何か言うとすぐに「ああしなさい」「こうしなさい」という母。

私は、別に何かしてほしかったわけじゃない。

ただ自分の気持ちを言っただけ。

 

私は本当は、どうしてほしかった?

「そうなんだね」

と、何も言わずただ聞いてほしかった。

 

私は本当は、何て言いたかった?

「何も言わないで」

 

「何も言わないで」と言ったら母はどんな顔をしたと思う?

なんて言ったと思う?

「じゃ、勝手にしなさい」とへそを曲げる。

 

もっと言ったらどうなると思う?

相手をしてくれなくなる。

離れていく。

 

・・・こわい。

これだよ。

これが怖くて「何も言わないで」が言えなかった。

 

お母さんが不機嫌になるのが怖かった。

お母さんが離れていくのが悲しかった。

 

グーっとこの感情を感じきったことで、全身がこわばる感覚、後ろに下がりたくなる感覚が楽になれた。

夫に申し訳ない気持ちになった自分に「うんうん、苦しかったね」と優しくなれた。

過去の私なら申し訳なさから変に夫に気を遣ったり、それすらできなくて距離を置いたりしていたけど、自分の感情処理ができるとフラットでいられる。本当に楽。

 

こういう「近づくな」の“決断”があると、子どもの言動に対する自分の反応に自信が持てなかったり、自分を攻めちゃったりしてしまうんだよね。子どもだけじゃなく、今朝の私みたいに夫やいろいろな人に「関わらないで」と感じたり、「リラックスできない」と感じたり「本音が言えない」と感じたり…そして自分の言動に悩み、自分を攻め、落ち込む。

 

自分に向き合うまでは、「よくわからないけどなぜか苦しい」の中でずっと悩みながら生きてきた。自分のパーソナルスペースに入ってくる誰かのせいしたり、ときに感じないように現実逃避しながら。…何も解決せず気づけばアラフォー。

 

でも今は、ふとした瞬間に身体が教えてくれる。

自分に向き合い、決断に気づき、認めてあげるだけで楽になれる。

あー、もっと早く知りたかった。

 

“決断”がない人はいない。

決断を無くすことが目的ではなく、怖くてフタしてきた感情に気づき、認めていくことが大切。

「アダルトチルドレン」「インナーチャイルド」など心理学の本もたくさん読んだ。でも、結局は頭で理解しても、肝心なのは“自分にとって”ということだった。

 

みんな違うから。同じ環境にいた兄弟ですら感じ方も、獲得してきた“思い込み”も違う。

 

子どもの姿を見て感じていること、自分の言動に対して感じていること、周りの人たちの姿を見て感じていること…目の前の悩みに苦しむけど、苦しみの根本は目の前の子どもでも、自分でも、周りでもないってこと、気づけて良かった。

 

こうやって私が自分を認められるようになってから、教室に入れなかった息子は入れるようになりました。…心って不思議だよね。