愛するということは、

同時に傷つくリスクもセットである。


例えば「推し」というカタチの愛だとしても、

愛した途端に、

それは自身が傷だらけになることを

同時に引き受けなければならない。

(推されている側も、同じ現象が起きているけど)


愛のよろこびを受け取る権利を得られたと同時に、底なし沼的な傷がつくことを覚悟しなければならない。


恋をする

友情を築く

結婚する

子供を持つ


他にもいろんなカタチの

人間関係があるけれど、


同時に傷つくことを引き受けるって、


結構怖いことだよね


まぁ、そんなことまで考えずに

人間関係を結ぶことの方が、

多いのだと思うけど


山にこもり、仙人みたいに暮らしていれば。


人からの

愛を知ることはほぼ無くても


傷つくこともほぼ無い。


いろんな愛を今まで感じてきたけど、


かといって、山に籠ることも、まだ否めない。


それでも人を愛したいとか、

人が好きだと、

真正面から言えない自分が居る


人が好きか? と問われると、

好きとは真正面から言えない自分が居る。

自他共に、人って凄いなぁと思いつつ、

人って残酷だなぁと思う部分だって当然あるから。


好きになった人たちと、

生きられている素晴らしさや偶然を、

味わっているだけなような気もする。


愛すると同時に

傷つく覚悟。


覚悟が持てないから、

愛から遠ざかる生き方。


どちらもアリなんだろうけど、

傷つく覚悟は持たぬまま、

結果的に愛する方に、向かっていった感じ。


だから

傷つくとき、まじ痛いんだろうな泣き笑い


いや、覚悟していても

傷つくのは痛いし辛いよね。


弱っちいなーと思いつつ。

変わらない性質だなぁ、と。


でもね、

愛の中で生きられる感謝で生きるのは、

傷つく覚悟が無くても

やっぱり素晴らしいなぁと、

いつもそう、思いますニコニコ


だからつい。


出会った人の中で、

友情や愛情や恋心を、育んでしまうのだなぁと。

傷つくことが、わかっていても。


優しい人と、接するたびに。

涙出ちゃう🥲


優しくしてくれて

ありがとうぐすんおやすみ


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