話を聞いて貰いたいのは、本当は外側の誰かじゃなくて他でも無い「私自身」
なのに
何でそれを人に求めているように感じるかっていうと
「こうして欲しい」は「相手」だとずっと勘違いしてきたから
「話をその人の話にすり替えられてしまって、なんかいつもモヤモヤする」
→「話って聞かなけりゃならないものだっけ?」
「あーそっか!聞かなくてもいいんだね😃笑。話をしたら聞いてもらえるものだと思っていたよ😂だから自分も人の話を一生懸命聞いちゃってたよでもさ、昔から人に話かぶされると寂しいんだよね😔」
→「そっか😃。それならここからどうしたいかは自分で選べばいいね👍😊」
「そうだね〜あと今あなた(自分自身)と対話していて気づいたけど…話を聞いて貰いたかったのは、本当は自分にだったんだ!😂」
いちばん話を聞いて貰いたかった相手は、実は自分だった
自分にまず、聞いてもらう。
自分がまず、自分の話をちゃんと聞く。
「ちゃんと」だよ。
流さないんだよ
いつも流しちゃってない?
ホントは、こういう感覚が出たのに「いや、それ悪いっしょ」って思ってしまったり。
これ「心に従う」っていう極論じゃ無いよ。
自分との対話だよ
自分との対話がまだちょっと難しいなぁって人は、誰かと対話してみるのはイイかも。
誰かはやっぱり「好きな人」「この人はいいなぁと思う人」「信用している人」
そんなところですね