気持ちのホッとするような暖かい日だった。久しぶりに上着を羽織らなくて良かった。
そうそう、これが春なんだよな・・・と肩の力が抜けているのに気がつく。
まあこんな暖かいのが続くはずはないが、日々季節は移ろう事を感じささせてくれるだろう。
誕生日を先日迎えたが、必ずといえば良いのか、これまでの人生の歩みを思い返す。そして必ず人生の終わり方を想像する。
人生の終わりを想像するのは誕生日だけではない。これについては毎日何回も考える。死についてこんなに考えるような歳に踏み入れたと言う事なんだろう。
僕はいつ終わりを迎えても良いと思っている。例えばそれが今日でも一向に構わない。こう考えるようになったのは毎日何回も死について考えるようになってからだ。
例えば5年前に自分が死んだと想像する。そして今の自分が今日終わりを迎えたとする。比べてみると大して違いはないのだ。
もう十分生きて来たと考えるようになっている。
例えば結婚していて子供がいるなら別だ。そんな風には考える事はないのだろう。まだまだ子供が自立するまで頑張らねばと考えるのが普通だ。
今日終わりを迎えても構わないと考えるのは、今の自分の人生からして普通の事なのだ。
人間の欲望は尽きない。生きると言う事も欲望だ。しかしながら必ず人生には終わりがあるのだ。
例えば僕が今日終わりを迎えたなら、余計な医療費は削減出来るし、年金受給者も1人減る事になる。その分の税金をこれからの子供達に利用する事が出来る。
少子化と言うのは、高齢化が原因だ。高齢者ばかりに税金が使われる為に、子供達や子育て世代に回す為の社会保障費が足らなくなるのだ。
7人に1人が子供の貧困と言われている。物凄い数だと思う。国の政策の大きな失敗だ。人が個人で長寿を考えるのは一向に構わないし自由だが、国が長寿を目指して何になるのだ。
綺麗事はもうやめて、平均寿命を10年下げるべきだと僕は考える。厚労省の言う健康と言うのは、国として健全とは思えない。
80迄生きるであろう人が70で亡くなれば、10年分の医療費は浮く。80迄生きても、70迄で終わりを迎えても大して違いはないと思う。健康診断に行けとか、癌検査を受けろだの余計な通知が来るが、税金の無駄遣いでしかない。そんな事は個人に任せておけば良いのだ。
そもそも癌は病気とは言わない。その遺伝子の寿命なのだ。産まれる前から遺伝子の中に組み込まれているのだ。人口増大を防ぐ為の大事な遺伝子だ。
長寿と言う欲望を人はもうちょっと冷静に考えるべきではないだろうか?
他国には安楽死を認めている国があるが、日本にもそう言う法があったって良いと思う。宗教に弛い日本なら難しい事ではない。
そう言う権利もあると言う事を考えるべきだ。