「カザフスタンのアラル海の感想と地元の評判」(中島徳至)

 

カザフスタン・アラル海北部の町、アラリスクから80キロ余り。2時間近く砂ぼこりを巻き上げて悪路を走る。何度も地平線に目をこらす。手元の地図ではアラル海の湖面が見えるはずだ。

ゆるい下り坂を、まるでアリ地獄に吸い込まれるような錯覚に襲われながら、なお走り続ける。目の前に広がるのは、草と砂の大地に風の吹く荒涼とした光景のみだった。

カザフスタンの「南の首都」アルマトイから四輪駆動車で1700キロ。博多から盛岡までの距離だ。もちろん高速道路はない。野営をしながら片道3泊4日のきつい旅が続いた。

地平線上に突然、粗末な土づくりの家の並ぶジャラナシ村が見えてきた。アラル海に面した漁村だという。しかし、そこに湖はない。なるほど、湖岸の面影を残す砂地が弧を描いて広がる。遠くに白く輝いて見えるのは塩だ。水ではない。

村の近くに「船の墓場」と呼ばれるところがあった。湖の水が引いてしまったので、船が湖底に取り残されてしまった。かなり大きな鋼鉄製の船もある。かつては、魚をとったり運搬したりする船の出入りでにぎわっただろうに。

アラル海は九州と四国を足した面積をもつ世界第4位の湖だった。その水位が15メートルも下がり、面積はざっと半分に縮んでしまった。内陸湖であるアラル海にはシルダリアとアムダリアという2つの大河が流れ込む。旧ソ連時代、砂漠を農地に変える「自然大改造計画」で、大量の水が中流域で潅漑(かんがい)用に取られてしまったのだ。1961年から水位が下がり始め、いまも下がり続けている。

野営したシルダリア川河口の村で会った古老は嘆く。「わけのわからないまま水が引いていって、魚がいなくなった。仕事がなくなって若者が町に出ていった。塩の浜に取り残された船を見て、孫たちは陸を走るものだと思い込んでいる」

河口近くの川幅は100メートルもない。はるか中国の天山山脈を源とする長さ2210キロの大河とは信じられないほど、やせ細っていた。

司馬遼太郎は「草原の記」に書く。「遊牧民は草原の土を掘ることを極度にいやがった」。草の根が表土を守ってきた。クワを入れて表土をはいでしまえば、草原は戻らない。アラル海周辺では、遊牧民の恐れた通りのことが起きている。

私がアラル海を訪れたいと思ったのは、人類の「負の遺産」をこの目で見たかったからだ。一昨年、長崎の諌早湾を訪れたときからの思いだった。

広大な砂漠に水を引いて豊かな穀倉地帯に変える壮大な夢が、自然大改造計画だった。結果は20世紀最大といわれる環境破壊をもたらした。その人間の浅はかさは、貴重な干潟をつぶして農地を造成する諌早湾干拓にも共通する。

中島徳至

 

参考:http://日本アカデミー賞歴代.com/2020/

 

 

最近は植物性や動物性の抽出オイルそのものを、クリーム代わりに使用する傾向が増えてきましたが、消費者のみなさんの評判はどうでしょうか。

 

油類を配合したクリームには必ず界面活性剤といって、油と水の仲だちをする合成物質が含まれています。

 

この界面活性剤は、最近問題になっている合成洗剤もこの一種ですが、化粧品に使用されるものは、特に皮膚に刺激のないものを選んでメーカーは使用しています。

 

それでも、何千種とある界面活性剤の中には、完全に無害であるということは断言できないものもあり、特にそれが体内に吸収された場合の影響については、まだその誕生の歴史が浅いので、何ともいえません。

 

そこで最近では、できるだけ食べても無害であることがわかっている、いや、むしろ体内に吸収されても有効に作用するであろうと推定されている、油そのものをクリーム代わりに使用する傾向が起こっています。

 

たとえば深海サメの肝油から抽出された、スクワレン(これは私たちの皮脂にも含まれている)を安定した形に変えたスクワランとか、インカ帝国の昔からアメリカ大陸で使用されたという、アボガドの果実から抽出されたアボカドオイルなどです。

 

特にアボカドオイルには、天然のビタミンA、B群、C、Eなどが11種、ミネラルが14種も含まれていて、皮下、筋肉まで刺激して、衰えた皮膚の賦活に効果があるといわれていますので、メーカーでも栄養クリームや乳液に配合する例も多くなってきています。

 

ただ、こうした油そのものを使うときは、クリームと違って水分が含まれていませんから、乾燥した皮膚にそのままつけるより、その前にモイスチャーローションのような化粧水で、十分に角質層に水分を与えておく必要があります。

 

なお、パックのところで紹介した卵黄パックなどの手づくりパックも、自然化粧品の一種といえます。

 

卵黄の中には脂溶性ビタミンやレシチンなどの有効成分が多いので、肌荒れ、老化肌に適しています。

 

 

 

中島徳至