🔴 カフェに来ている。
いつものスタバ☕️
この暑い中、スタバは冷房が効いていて快適。
こうして毎週末、次の動画の原稿作りを始めるのが習慣として定着をしている。
こうした作業では、音楽は欠かせない。
まじめな内容を作り出すのに,ながらで?といぶかしいと思うかもしれないが、思考をスタートする大切な儀式でもある。
思考がのってきたら、切る時もあれば、流しっぱなしの時もある。
要はテンションを上げているのだ。
テンションなくして、原稿は進まない。
今日のBGMはレッドホットチリペッパーズ。
ベースサウンドが好きな私は、レッチリで流れるベースサウンドと、独特なリズム感にテンションが上げる。
こうしてカフェにいると思い出す時がある。
自分がパニック障害で苦しんでいた時のこと。
目の前は、私と同じようにアイスコーヒーを飲んでいる人がいる。その人は,何をしているわけでもない。スマフォすら手にしていない。ただアイスコーヒーの冷たさを味わっているようだ。
カフェは,どんな過ごし方でもいい。そんな場所だ。私みたいに、パソコンを開いてる人もいれば、その人のようにボォーとして居る人もいる。
いろいろだ。
そして、それはただ、そうなだけ。
パニック障害の時の私は、目の前に他人がいることが、発作症状の引き金になる。自分がそこにいてはいけない感覚。
ソワソワもするし、喉元がしまってくる。
空気の薄い空間にいるかのよう。
とてもただ、そうなだけとは思えない。
だから当時は、なるべく対面にならない、すみっこの席に座っていた。今のように、チョコスコーンなんて洒落たものは食べない。
飲み物ですら,飲み干せないのだから。
しかし、今はおかまいなしだ。
目の前に人がいようが、飲みたいもの、食べたいものを味わっている。
背伸びをしたいときは、思う存分背伸びをする。
そうしたいから、そうしているだけ。
そして他の人も、そうしたいから、そうしているだけ。
しかし過去の私はまさに病的だったのだ。
同じことをしてないと違和感を感じる。
時として襲ってくる離人感、そして孤立感。
ここにいてはいけない存在。
そんな自分がいた。
表向きは、すごい平静を装ってはいたが、内心は自分をなぜか「恥すべき存在」としてその時間を我慢して過ごしていた。
それに耐えきれなくなると、発作症状やさまざまな違和感が出てくるのだ。
今ならわかる。
発作症状や,妙な違和感、思考は、すべてが「自己否定の象徴」なのだ。
自分が自分であっていい。
そう思えると、発作症状や妙な違和感に苦しまないのだ。
今の私は、「俺は俺だから」
当時は「俺」は存在していない、明らかに。
俺の存在は消していたように思う。
他人に見られたくない,思われたくない…自意識過剰もいいところ。
そして最悪なのが、他人がどうこういう前に、自分が自分をしっかり見ていなかった。受け入れていなかったのだ。酷い扱いだ。
パニック発作など、そのほかの諸症状は、実は自分そのものだ。当時はそれが分からなかった。やっかいなものに取り憑かれたと思っていた。
色んなことを試してきて、ようやく行き着いたクレア先生の四原則。
症状に直面し受け入れるというのは、実はありのままの自分を受け入れることに繋がっていたのだ。
「お前は、いつうもこうだよね…」
そんな否定的なレッテルを他人から,親から、そして自分自身でも貼ってきた。
何か褒められた記憶は一切ない。
悲しいかな、両親からもだ。
そんな昔の自分は自己否定の塊。
それで成長したきた。
でもそんな生き方でラクに生きれるはずがない。
他人の勝手なレッテルに、自分が従う必要はない。
それを戒めてくれたのは、パニック障害という病気だったのだ。
「自分を生きなさい」
そう教えてくれたのが,私のパニック障害だったのである。
🔴 「まぁ、待て」
「アクセル踏みすぎじゃね?」
「はい!カット」
「とりあえず、後でとらわれようじゃないか、なにも今じゃなくていい」
「そもそも、何してる?」
これ、自分が思考に飲まれかかってる時に,自分に気付きを入れる時のフレーズ。
思考は止めることはできない。
ただ思考を選択しているのは自分であり、切り替えることはできるのだ。
🔴
⚫︎神は存在ではなく働きである
「私にとって神とは」 遠藤周作 著
⚫︎神のなさることはすべて時にかなって美しい
旧約聖書 伝道者の書 三章十一節
神様の存在を実体で見た人はいない。
だから信じない人は信じない。
キリスト教にしても,仏教にしてもあらゆる信仰に欠かせない考え方には、「神は働き」なのだということ。
そして,人の営みはいつも、何かが働いている。今、この瞬間の状態にあってもそれは働いている。
だから信仰を持つ人は、どんな状況にあっても、それが神からのギフトとして、受け入れることを決めているのだ。
ご都合主義のように思えるし、ノーテンキ、頭がお花畑?と、時にそんな人は揶揄されるのだが、それでいいのだ。
神はまさしく、働きのうちにいる。
今もここに。
🔴 なかなかパニック障害や苦手意識が解消されずに,自分に嫌気がさしている人へ。
下記の動画を見てください。
あなたにも当てはまるはずです。
【前編】治そうと必死な人ほど治らない心の病
【後編】治そうと必死な人ほど治らない心の病
🔴 起きる出来事に意味を探しましょう。
これを「意味への意志」といいます。
人は何かのために、良いことをしたいと思っています。
何かのために、誰かのためにと、自分の外に出て、その出来事に意味をもって参加する。
そこで得られる体験は,やがて自分に返ってくるのです。
不満不平ばかりが自分の中をうごめいているのであれば、そんな人はきっと外に起きる出来事に参加をしていない。
学校もやめ,仕事もしてない。
いわゆる、ひきこもりだ。
自分の殻に閉じこもり,自分ばかりに関心を寄せている状態にある。
自分だけが、なんでこんなことに…とただ嘆き悲しみ,そんなことに多くの時間を費やしている。
なんでこんなことに?
こんな事を選んだのは「あなた」だ。
こんな人は、ボランティア活動でもいい。
無償で人を助ける,人のために何かをするということに参加してみるといい。
そうでもしないと、その自己中心性から離れられないと思う。
森田療法でも言っている,究極頑固なまでの「自己中心性」が神経症を生み出し,存続させる。
外の世界に参加せよ。
社会参加の第一歩として,ボランティア活動をすすめる。
🔴 昔、よく「斎藤一人」さんの本を読み,講演CDを聴いていたなぁ…。
今や、YouTubeで無料で聴けるなんて、なんていい時代なんでしょう。
今でこそ,スピ系でも自己啓発系でも言われている話ではあるけれど、やはり話者の魅力が理解を高めるなぁ…と実感します。
事の本質を毎回、話してくれます。例え話がとてもうまく、自分の波動を高めてくれます。
テクニックに頼らず、それよりも心がけの問題なんです。
【成功するための振動数とは・・】斎藤一人さんのお話
【公式】
🔴 🔴【重要】
何をやっても、いつも同じことになる。
何をやっても続かない。自暴自棄になる。
一時的に高揚感に浸っても、またすぐにいつもの、ぐーたれた状態に戻る。
そんな人はこれです。
「どうせ自分なんて、結局こうだから」
これを頭にたたみ込んでください。
そして実践を毎日やって下さい。
そしてやってる最中もなお、「どうせ,やったって…」のような抵抗感が湧いてきます。
抵抗感も同時に手放していきましょう。
🔴 自分を機嫌良くしておくこと
究極それ。
私たちは、日々起こること、見るもの、聞くことに反応する。
どんな反応するのかは人それぞれ。
機嫌良く受け取るか、そうじゃないか。
もちろん、機嫌よく受け取れないことはたくさんある。
しかし、それもとらえよう。
それでどうにでもなる…とまでは言わない。
ただ…そうしたものに感情的に反応するのではなく、少し距離をとるべし。
「自分にとって何か意味あることだとしたら」
「自分にとってギフトだとしたら」
そう自分に問いただす癖は付けておいた方がいいです、まちがいなく。
正しい問いかけが自分を救う。
🔴 【ぐるぐる思考】に悩んでいる方は下記の動画を復習して下さい。
🔴 夏の暑さ、夏休み中の子どもの世話、帰省…
このお盆休みの時期はとてもストレスフルです。
【気付き】や【セドナメソッド】をシンプルに行って下さい。
この講義動画では,気付き、セドナメソッドの基本、そして注意点を述べています。
とても重要なお話をしています。
必ず、必ず今日見るようにして下さい。
【夏の暑さが怖い! パニック発作を恐れるあなたへ】
🔴 批判されることを恐れていると、プライドが高くなります。プライドを手放しましょう。
・失敗することの恐れ。
・ちゃんとやらなきゃ…。
・人に頼めない,全部自分でやってしまう。
・理論武装。知識偏重。
・見栄っ張り。
・断れない。
・人の思惑、目線に過敏。
・NO!なのにYES!と答えてしまう。
・わからない,知らないと言うことを躊躇。
全部,プライドからです。
【セドナメソッド実践編 第12回】 自分らしさを奪う「プライド」を手放そう