【日曜日はヨガ・トーク!】集中するためには対象をひとつにするか、あるいは何かひとつの技術を用いる。


コンディショニング・トレーナー大森です。


最近、自分自身のトレーニング方法を見直している中で、
いかに集中できるか、モチベーションを高められるかを考えています。


俗に言う「PDCAサイクル」を自分なりに作ってみているのですが、

そんな中で【ヨガ・スートラ】を開いたら、集中(瞑想)を邪魔する障害や付属物を防ぐ方法が書かれていました。


うーん。やっぱりヨガって、生活の智慧なんですよね。


というわけで今回は、

集中するためには対象をひとつにするか、あるいは何かひとつの技術を用いる、

というお話です。


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【ヨガ・スートラより】


要は、集中の対象を変えてばかりいてはいけないということだ。

あるひとつのものに決めたら、何が何でもそれをやり通す。

浅い井戸を何百掘っても何にもならない。

ひとつの場所に決めて、そこを深く掘れ。

岩を掘り当ててしまったら、ダイナマイトを使って掘り進め。

そこをやめて他所へ堀に行けば、今までの努力が無駄になるし、また次の場所でも岩にぶつからない保証はない。

掘り始める前は、どこがいいかを十分に調べて、良い場所を探し出す。

そしていったん〝ここ〟と決めて掘り始めたからには、それ以上は詮索しない。

そこをただひたすらに掘る。

もうこれで良かったのかどうかを考える時ではない。

それはすでにやり終えているはずのことだから。


道は長くとも、粘り強さがそれを短くしてくれる。

ねらいは心を安定させることにあるのだから、何を採用するかはそう大した問題ではない。

何であろうと、とにかくそれがあなたを目的地に連れて行ってくれる。

あなたがあるものに集中するのは、その〝もの〟のためではなくて、到達すべきもののためなのだから。

集中する対象の背後にこそ到達すべきものがあるのだということを、あなたは常に銘記すべきである。


好みや気性、そして能力は、人さまざまである。

だから、自分は違うものを選んだからといって、他人の対象についてとやかく言うべきではない。

あなたがあなたの対象に確信を抱いているのと全く同じように、その人もその人なりに自分の対象に確信を抱いているのだ。

他人の信仰の邪魔をするべきではない、と同時に、自分の信仰も邪魔されるべきではない。


ひとつのものに専念して、それによって着々と進むこと。

あなたは何のためにその集中をしようとしているのか?

その対象は、しがみつくためにあるのではなく、登っていくためのハシゴとして使うのだ。

屋根の上にに登ってしまえば、もうそのハシゴは捨てるのだから。


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冒頭に「PDCA」のことを書いてしまったのですが、

スートラのままに受け取ると、「C(チェック、見直し)」をしてる場合じゃないと言われそうですが…(汗)、


しかし大きな部分として、

・集中することや、やることをチョコチョコ変えてる場合ではない、

・何を採用するかはよりも、それに粘り強く集中することが大事であり、

・そしてそれは、その先にある到達すべき目的のためである、

というところが、大森としてはとても学びになった部分でした。


しかも最後に、集中した対象は目的のためであって、それを終えたら捨ててしまうなんて!

まさにヨガでいう「執着しないこと」「手離すこと」が最後に来るんですね。


先日「目的と目標」についてのブログを書きましたが、
あらためて自分自身の「目的」と「目標」について考えてみたいと思います。



あ、もちろん今はじめている「P(プラン)」変えずに、とにかく集中してやりきりたいと思います!(^_^;)




今回も最後までご覧いただき、ありがとうございます。

皆様がより健康で快適にいられますように。


大森 剛 / OMORI TAKESHI