表現は何のためにあるのか? <後篇> | Relationのブログ

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表現は何のためにあるのか? <後篇>


今日、俺の日本で一番好きなバンドであるエレファントカシマシのライブに行ってきた。at日本武道館!

しかもチケットを俺は見知らぬ人からタダで貰ったのだ!
なぜかというと、ミクシーのサイトでエレカシファンの人が余ったチケット譲りますというメッセージを書いていて、俺の彼女がそれを見つけてくれたのだ。俺はお金を払うもんだと思ってたのだが、タダでくれたのだしかも2枚!まじで~!

その人が言うことを察するに、結構早めにチケットを取ったのだが、あまりいい席ではなく、その後取ったチケットの方が良い席であった。
その為、自分はいい席で見るので、最初に買った席の方は、誰かに譲って楽しんで欲しい。しかし譲る(=あげる)からには、ちゃんと来て空席にはしないで欲しいとのことであった。

それでも転売するのではなく、純粋に誰かに楽しんでほしい、しかも空席にならないように。という彼女のエレカシへの愛を俺は感じ、まじで素晴らしいことだと思った。

演奏する側の気持ちとしては、当然であるがあまり埋まっていない客席を前に演奏することは、結構悲しいものである。
彼女はその気持ちを汲んで、他ならぬエレカシの為に、見ず知らずの俺にタダでチケットをくれたのである!
こういうファンは、バンドにとってほんとにだと思う!
いいファンに恵まれているよ!大事にしていかなきゃいけないんだぞこういう人を宮本よ!

もっとも俺は10年ぐらい前の雑誌のインタビューで、エレカシ宮本が冗談交じりにマダムファン減ってくんねえかな、などと話しているのを見たことがあった。
当時は結構売れててエレカシも若かったし、ライブで熟年層のファンが目立ったのかもね。そんな状況で、そんな傲慢なセリフほざいて、その後エレカシは急速に失速。武道館でライブをやる時には空席をブルーシートで隠すといった事態にまでなってしまったのである。

表現者にとって、自分たちのファンはまじ宝だよ。そんな年とか性別とか関係ないよ。自分たちの音楽をいいと思ってくれてるんだから。そういう人たちがあってこそ、自分たちが音楽をプロとしてやっていられるんだよ。

そういうこを分かっていなかった当時のエレカシは手痛い洗礼を受け、ほんとにCDも売れない、メディアでも見ない日々があった。

でも今では会心したと思うよ。『俺達の明日』っていう曲ぐらいじゃないかな。
ライブでの演奏はもちろん、パフォーマンスや曲もそう、より多くの人に届けたいという思いが伝わる、涙がでるほど素晴らしいバンドだよ。

ファンとバンドは、支えつつ・支えられているものだと思うよ。
ファンがいるから歌っていられる、歌ってくれるからまたライブを見たいと思う。
そんなもちつもたれつの関係だと思う。

ステージ上で、ミュージシャンが一生懸命パフォーマンスをする、
客は客席から手を振ったり、掛け声をかけたりして盛り上げる、
その声を聞いてミュージシャンはもっと頑張れる。

俺も今日エレカシがのびのび演奏できるよういっぱい声を掛けて、手を振ったぜ。
そしてエレカシは演奏で俺の思いに応えてくれたぜ。

ファンはまじで宝であり、同じいい時間を作りあげる仲間だね。
それは、音楽じゃなくてもあらゆる表現について言えることなんじゃないかな。

発信する側がいて、受け手がいる。受け手のココロを汲みとって、さらにいい発信をする。
その繰り返しこそがよりよい表現をしていく為の心意気なんじゃないかと思う。


<完>


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めでたく本日の武道館は13,000人の満員御礼!なぜか俺が嬉しくて涙がでたね。