表現は何のためにあるのか? <中編> | Relationのブログ

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表現は何のためにあるのか? <中編>
先日、話題の映画チェブラーシカを見たのだが、
いや~かわいかったよチェブラーシカ!
あと友達のワニもさー、すげーいい奴!
絶対に否定をしない、心が広くて優しい奴!
ココロが暖まる映画でしたよ。
その中で思ったことがあったんだが、
結論から言おう。
『俺はピエロみたいになりたい!』
いやー、チェブラーシカの町は、皆友達が欲しいんだけど誰も言いだせなくて、誰も友達がいない町なの。そんでチェブラーシカとワニが最初に友達になって、町にサーカスが来て、最後は皆友達になってくいうお話なんだけどさ。おもいっきしネタばれこれ?
で、途中さ、町にサーカスが来るんだけども、皆さサーカスを心待ちにしてんだよね。サーカスが来るっていうだけで、うきうきしちゃってさ。
もう日々辛いことあっても、サーカスだけは喜んで見てさ、目輝かせたりして、
サーカスは皆に希望や夢を与えてるんだよ!
今の時代じゃけっこう簡単に手に入るものばかりで、
そんな心待ちにするものなんてないかもしれないけどさ。
そのサーカスは人々にとったらもう夢や希望なんだよね。
俺らもさ、そんなバンドになりたいと思ったよ。
どんな辛いことがあっても、俺らの曲を聴いて元気になったり、癒されたり、励まされるようなさ、そんなサーカスみたいなバンドになりたいんだ。
しかもその中のピエロってさ、たしか辛い涙を隠して笑顔の化粧をしてるんじゃなかったっけ?
自分はすごく辛いのに、皆を喜ばせるために、笑顔を作りつづけてるピエロって
まじで素晴らしいと思うよ。
あんな陽気な動きしてさ、笑顔の化粧してさ、子どもたち喜ばせたりしてさ!
俺らも悲しいこととか辛いこととか全部受け止めて、それを皆の笑顔に変えていけるような、そんな演奏をしてゆきたいと、切に思ったね。
それこそが俺らが演奏する使命だと思うよ。

<続>


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