表現は何のためにあるのか?<前篇> | Relationのブログ

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表現は何のためにあるのか?<前篇>

こないだ俺の大学時代の文学研究会の悪友たちと夜を徹して自身らの芸術について、語りあったのだが(大半はエロ話)。

ある者は崇高なる文壇に蔓延する水嶋ヒロなどの大衆作品の登場に、自らを純文学を背負う者として危機を感じ、その双肩に担う使命の重さに気合をみなぎらせていた(
つまりヒロに嫉妬)。

しかしながら、俺達の目指すべきところがしっかり定まっていれば、そんなこと気にすることないのである。

要は何が言いたいのかというと・・・

文学であれ音楽であれ、画家でも詩人でもさ、あらゆる芸術・あらゆる表現、もっと言えばスポーツ選手やお笑い芸人も含め、人前に立つ人の使命は、俺は“夢を与えること”なんじゃないかと思うんだわ。

それを踏まえて、俺たち表現する側の人間は誰に向かって表現をするのかな?

そう、自分たちの表現を受け取ってくれる人々、
またそれ以外の自分たちをまだ知らない人々、
あらゆる人たちに対し、伝えたい・届けたい・感じてもらいたい。
それが俺の歌う理由。

いいものは伝わるし、あまり良くないものはあまり伝わらない。
あまり良くなくて、あまり伝わらないものでも、話題性やらなんやらでたくさん売れるものもある。
でも俺の目的は伝えること・夢を与えること(=俺らの曲を聴いて、明日から頑張ろうと思ったり、少しでも誰かや平和の為のことを考えたり、切ない恋の感情を揺さぶったり、その他いろいろ。それこそが俺がたくさんのロックから貰ってきた感情だ!)であるので、富や名声ではない。

俺は正直金なんかどうでもいいよ(今の収入じゃ正直しんどいんだけどさ!)。
俺が欲しいのは、あなたたちのココロです。
俺らの曲を聴いて、動いてくれるあなたがたのココロですよ。

その為にああでもない、こうでもないって試行錯誤して、皆に伝わるような曲を作りたいと思っているんだよ。

だから心配なし。大衆小説家がいくら蔓延ろうとさ、訳分かんない変な歌が売れようとさ、俺はどうでもいいよ。
俺が信じてる、大好きなロックの世界・音楽の世界はずっと俺に夢を与えてくれると分かっているからノープロブレム!

だから心配すんな、自分と世間との葛藤に悩むアマチュアのアーティストたち。
より深くココロに突き刺さる、多くの人の目に触れる広い場所目指して行くだけだよ、頑張ってこうぜ!

そういう作品こそが、真のロックであったり、真の文学って言えるものなんじゃないかな。

<続>


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