モノが溢れすぎている!とふと思った。ちょっと前にも同じようなブログを書いたが、最近本当によく思うようになった。
ネット上には無限の情報が蔓延しているし、街には人間が、そこいら中にはモノが、CD屋に行けば一生かけても聞ききれないCD、電車にのれば携帯をいじってる人いっぱい、小学生の子供もランドセル背負って朝のラッシュでもみくしゃだよ。俺の子供は絶対私立なんかいれねーぜ。
今日も会社では大学生向けの会社説明会をやったのだが、エントリーだけして実際に来たのは一人だけ。ほとんどがドタキャンしたんだろーな。こっちはちゃあんと用意して待ってんのにね。
要はモノが溢れすぎているのだ。別にそれ自体がいけない訳じゃないけど。
たくさんあることによって1つあたりのレア度は少なくなる。ありがたみがなくなる。だからココロに深く刻まれるものではなくなる。
ネットとかで得られる情報って実はまじで大したもんはないと俺は感じる。なきゃないで事足りるのだが、ツールとしてネットがあって、本質はもっと深いところにあるのだ。さらに言えば、ネットがあることによって、簡単に手に入ることによって、同じ情報でも陳腐に感じられてしまう。
モノでも同じだよ。俺は去年まで会社から昼飯の手当てが出ていたのだが、今年からそれがなくなって、日々の昼飯代を自腹で払わねばならなくなった。
そーすると色々頭使うんだな。どーにかして300円ぐらいで一番腹いっぱいになる方法を考えたりさ。そんな時に食うコンビニの何の変哲もないパンとかがうめーんだわ!まじで!パンメーカーに感謝した時あったよ。
高校生ん時とかも月々の小遣いで好きなCDとか買わにゃいけなかったから、色々厳選するんだよ。そんで予約とかしてさー、断腸の思いで買って気分上昇で帰ってパッケージ開けて指紋つかないように歌詞カードとか見てさー曲聞いてれば全然飽きなかったもんなー
もともとモノがない時代とか国だったら、自然とそこにあるものがありがたーく感じれるが、現代のようにモノが溢れすぎている状況だと、大事なもの一個も見つけられずに死んでいってしまうのではと思ったりするよ
モノが溢れている状況は仕方ない、とゆうか現実なのでそれは変わらないので、そのいっぱいある中で自分が本当に大切なものを大切にしてゆきたいね。はびこる陳腐な空っぽな無意味なDICKどもにまどわされることなく!
自分で見つけ出す見出す見極めるんだぜ!
なんでこんなこと書いたのかってゆーと、今日3MARKETS㈱のライブを見てきて、すげーよかったから、久々にココロを揺さぶられた感じがして、なんつーか、人間は強いだけじゃないっつーか、ただ頑張ろうとゆうだけじゃなくて、ダメでもいいんだ!っていうそれでもなんとか頑張れるよね。みたいなしみじみっつかえぐられるっつーか、とにかく掻き毟られるライブで、俺は3MARKETS㈱のアルバムを購入してしまい、それがこれから聞けるのがとっても楽しみで、帰りの電車の中からずっとわくわくしてるんだわ。
3MARKETS㈱の皆さんに6/6(日)の下北・屋根裏での俺らの初の自主企画で是非と、対バンをお願いしたのですがスケジュールが合わずに決定できず。まじで残念だー。
いつかはきっと同じステージに立ちたいです。俺らも誰かのココロに届くいい曲を演奏したいね!
次回のライブは・・・
2/28(日) 下北沢251でやります! 必死こくんで皆さん、来てくださいーー!