人の魅力の中には、『崩れの美』と言うものがあるように思われます。
ちょっと崩れていると言う…そのちょっとの所が、人を惹き付けるそんな美しさです。

⚫牡丹のくしやと崩れてかがやくも

こちらは、以前目にした歌で
花の崩れの美しさを歌ったもののようでした。

⚫蕾のかがやきがあり、 

⚫開きはじめた時のかがやきがあり、

そして

⚫開ききった時のかがやきを経て

⚫牡丹の花が崩れ落ちる時のかがやきがあると言う、

朽ちる色気を歌ったもののようです

この句には、女性の乱れていく様であったり、また生きざまを重ねて思う私です。

崩と言う事は、あまり歓迎される文字ではないかとも思いますが、崩れ、崩されなければ
新しいものは、生み出されないかとも思います。

そして私自身はと、言うと
崩れると言うよりは、むしろ『崩す』『崩される』と言うことに魅力を感じます

セラピストとして、この事を思う時
例えて言うならば、

目の前の殿方が
靴を脱ぎすて、
ネクタイを外し
腕時計を外して 時間に縛られる事なく
自分を解放していく…その姿を重ねます

いつもいつも世の中で戦い続けて生き抜いてくると、心に偏見がいわゆる自分の男性はこうあるものと言う、良識がひとりよがりすることもあるかと…。
でも、その部分を思い切り崩す。
その崩す作業に色気が隠れていたりするものです。
崩れの美は、女性だけのものでもなく、強い男性だからこそ、崩れていく様に隠れている“美”そして“色気”。

男性もまた女性と共に常に、色気ある方であって欲しいと願う

私 なのです。

そんな事を想像し、本日も心地よい眠りにつくと致します。