社会人になってからの成長は、
自分との戦いな部分が多くなります。
学生のときには、「学生」という言葉のどこかに、
「まだ未熟です。」という意味が込められています。
だから、勉強はしなくてはいけないし、
勉強によって成長する時期だと無意識に感じています。
でも、学生から卒業すると、
勉強から解放されたと思いがちになり、
勉強によって成長する時期は終わったと勘違いします。
社会人になったから、大人になったという勘違いです。
僕自身、子供の頃には、
子供の仕事は勉強だと聞いていましたし、
大人になればもう勉強はしなくても良いんだよ!
と言われて、今は勉強をすることを即されたことも多かったです。
何度も聞いていたので、そういものだと思っていました。
でも、社会人になり、この勘違いが一番自分の成長を遅らせていました。
勉強は一生続きます。
裏を返せば、一生成長が出来ると言うことです。
この言葉に、「希望」が見えるのか?
それとも、「面倒」と見えるのか?
この違いは、自分の心による受け取り方の違いです
僕が学生の時に聞いていた言葉は、
「面倒」の意味で使われていました。
子供の仕事は勉強だと聞いていましたし、
大人になればもう勉強はしなくても良いんだよ!
と言われて、今は勉強をすることを即されたことも多かったです。
これらは、僕に言っていた大人が、
「勉強は面倒なこと」という定義をした上で、
僕に教えてくれていたことでした。
だから、僕自身、「勉強=面倒なこと」として認識をしていました。
しかし、32歳で独立したときにとてつもなく感じたことが、
「勉強=成長」だという事実でした。
これは、子供だとか大人だとか関係ないんです。
そして、ここが大人になってからの伸びしろの根底を作っていくモノでした。
学生の時の勉強は、
この土台を築くための一環だったんですね。
学生の時の勉強がそのまま役に立つのではなく、
様々な習慣が、大人になってからの勉強に加速させます。
学生の時に学びたいことは心の形成です。
それは人と接することから大きく生まれますし、
人と協力したり、同じ子を学んだりと言った、
学校生活そのものでした。
成績のの善し悪しだけではないです。
だからこそ、自分の子供への指導には、
偏った目線では出来ないと思っています。