みなさん Bonjour
しばらくスッキリしないお天気の続いていたパリですが、
今週はいきなり暑くなるらしい~~
突然ですが、皆さんは“良い人”ですか?
または
“良い人”って、どんな人のことだと思いますか?
私が、パリに来たばかりの頃の話です。
日本でいくつかのセラピスト資格を取得していた私は、
それを活かしてパリでも仕事をしていくつもりでした。
友達も知り合いもいないパリ。
誰かと知り合える機会は逃したくありませんでした。
それは仕事のためもあったし、友達も作りたかった。
友達たくさん
仕事順調
パリに来たばかりの私は、
早くそんな充実した生活を手に入れようと
必死になっていたかも知れません。
知り合った方には失礼の無いように。
特に仕事関係で出会った方には、気を付けて!
いつも笑顔で感じの良い人で。
いつも元気でハキハキと。
マナーとモラルも最大限に気を付けて。
感謝の気持ちを忘れずに!
つねに相手にリスペクトを!
だから、
内心『え?』と思う時にも、
私はニコニコとスルーして、対応していました。
気に入られたいと思ったし、
良い人だと思われたかったし、
信頼に値する人間だと思われたかった。
そして、先に書いたように、
早く充実のパリ生活を手に入れたかった。
『この人、苦手かも・・・』という気づきに蓋をして、
『でも悪気は無いし、基本良い人だ!』と、自分を思い込ませ、
そうして、笑顔で交流していました。
ある日、ちょっとしたトラブル・・というか、行き違いが発生。
私としては、きっちりと筋を通して義理も果たしていたつもりが、
『裏切者』
『不義理』
『パクり』
・・・といった内容の衝撃的なメールが送られてきました。
もう、ビックリ
さらには、関係者の方のところへ電話したり、直接押しかけて、
私という人間がいかに、
ヘラヘラ調子よく
みんなに良い顔して
他人を利用して
出し抜いて
成功しようとしている
で、あるかを熱く熱く語ったという。
私、絶句。
なんで、私がこんな罵倒される事態になったのか、全くもって意味不明
今回、このことを書くにあたり、当時のメールを読み返してみたら、
トラブルとしては、私は完全に『とばっちり』でした
本来、他の関係者に向けられるべき感情
又は、その人が自分で消化すべき感情
が、全て私に来ちゃった!みたいな。
その証拠、かどうかは分からないけど、
このトラブルから半年後、別件でこの方と会った時は、
普通に笑顔で会話・・・でした
当時は、本当にショックでしたよ。
自分が一番大事にしている『義理』と『感謝』という面で
ボロクソ言われて、しかも周囲に吹聴までされて。
でもね。当時の私は、言い返すことが出来なかったんです。
そして、その人を否定する感情も持てなかったんです。
それが“良い人”だと思っていたんでしょうね。。。
『きちんと筋を通したつもりでいましたが、伝わらなかったら意味無いですね
私も反省しています。そんなつもりは全くありませんでしたが、
私のしたことで気分を害されたことを残念に思います。申し訳ありませんでした』
と、メール。
そして、関係者の皆さんにも似たような言葉で謝罪しました。
私にはそんなつもりはなかったけど、
でも私の認識不足もあったかと思います。
申し訳ありませんでした。
この経験を生かして、今後皆さまに御恩返しが
できるよう、精進してまいります。
このたびはお騒がせして申し訳ありませんでした。
・・・・みたいな。
今見ると、自分を正当化する言い訳と、理解のある良い人であろうと必死なのが丸わかりの文章ですね。
でも、当時の私は本当にそう感じていたんですよ。
ああ、私に悪いところがあったなって。
みんなそれぞれ悪気があったわけじゃなく、なんとなく流れでそうなってしまっただけ。と。
そして、やはり『嫌われたくない』『良い人でいたい』という、願望が強かった。
ちゃんと怒って、
なんで、アンタにそんなことまで言われなアカンねん!
腹立つわ~良い大人がアホちゃうか?
アンタみたいのはこっちからお断りじゃ!ボケ!
とか、絶対に言えなかった・・いや、
そんな風に思うことを、自分に許可できませんでした。
私は、若い頃に信頼していた人から裏切られた経験があります。
そして、
自分が頑張っていたバレリーナの道を諦めたことにより、
自分で自分を裏切ったような感覚に陥ったこともありました。
HSP特有の感受性の高さもあり、自分の思ったことを発言すると
周囲からあからさまに奇異の目で見られてきた経験もあります。
派手目でキツイ顔立ちのせいもあって、初対面の人に
『怖い』
『派手』
『変わった人』
という印象を持たれることがほとんどでした。
若い頃のこういった経験が複雑に絡み合い・・・・
いつのまにか私は
『決して他人を悪く思わない』
『いつもニコニコフレンドリー』
『The 良い人』
『The 普通の人』
で、いようと、無意識に自分を偽る癖がついてしまったようです。
それが、自分が苦手な人が相手であっても。いつでも。どんな時でも。
(↑そりゃ、疲れるよね)
自分に自信が持てない部分を、周囲から『良い人』と言ってもらうことで
補おうとしていたんですね。
このトラブルに関しても、今思えば、普通に対応すれば良かったんです。
『私はこのような暴言を受けるようなことは一切しておりません』
ただ、その一言で良かったはず。
『あなたが私をどう思うからは勝手ですが、
その個人感情を他人に吹聴するのは
さすがに失礼です。今すぐ止めて下さい』
ってね。
でも、自信の無かった当時の私は、
自分を正当化するために必死で良い言葉を並べて、
良い人ぶって一歩下がることしか出来なかった。
結局、この件で謝罪の言葉を口にしたのは私だけ。でした(笑)
関係者全員、もう無かったことになってますから。
言われ損の謝り損
でもね。
今となれば、あの人が私に向けた言葉がよく理解できます。
彼女の言った、
ヘラヘラ調子よく
みんなに良い顔して
他人を利用して
出し抜いて
成功しようとしている
うん。あながち間違ってない
むしろ、的確(笑)
当時の彼女は、本人の私ですら気づいていなかった
“偽良い人”を見破っていたということなんですよね。
確かに彼女は、感受性も感情も豊かで、裏表の無いピュアな人でした。
それゆえ、私の偽物感もすぐに見抜いて、
ストレートに言わずにはいられなかったのかも知れません。
(それにしても、その私見と感情を仕事の現場に入れて大騒ぎ!
というのはよくなかった、と今でも思いますが)
このトラブル以降の私は、前進することが怖くなりました。
また言われる。またやられる。
そんな恐怖感がつきまとい、パリで活動する目標は達成されないまま。
その期間、ひたすら内観し、学び、気づき・・・
すっかり統合された今となっては、
“良い人”にこだわっていた自分にも気づきました。
気づいた上で、当時の彼女に、心の中でちゃんと“怒る”ことができました。
そして、『良い人やーめた!』というのが、今の私です。
光あれば陰があるのは当たり前。
ダークサイドも含めての、私。
怒っていい。
ムカついていい。
自分に嘘をつかない。
そして、まずは
“自分を疑え!”