こんにちは。
魂響書占 たまゆらしょせん えりこです。
死体 ね 収容 ね
どこまで続くのか…
自分でもわかりません^^;
が 今思うこと 感じることは
どうしても書き綴っておきたい
ので書き尽くす所存です。
うげげって話におつき合い
ありがとうございます(^人^)
続きです。
S先生のことでは
見ないようにしてきたと思うこと 感じること
それこそ たっくさんあるのだけれど
どうしても書いておきたい!
と浮き上がってきた 今日は
S先生関連の友達のこと。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
「友達をあだ名で呼んではいけません」
「男の子は〇〇くん 女の子は○○さんと名字で呼びなさい」
とS先生に言われていたけれど
2人の時 私はその女の子を
「ごっちゃん」ってあだ名で呼んでました。
小学校1、2年生の時
同じクラスだったごっちゃんは
3、4年生は違うクラス。
5年生で
また同じS先生のクラスになったのです。
ごっちゃんとは家がわりと近く
1、2年生の頃も良く遊んだ友達のうちの1人。
5年生になってからは同じ音楽部に入り
下校時は2人で
リコーダーを吹きながら帰るのが常でした。
当時のテレビ番組
キャンディキャンディとか 花の子ルンルンとか
パートを分けてハモったりしてね
帰り道はとにかくず~っと
2人でリコーダーを吹いてるの。
しゃべりもせずに ただひたすら
通学路近くの商店のおばさんや通りすがりの人に
「2人共上手ね~」なんて褒められて
大人の今じゃ 恥ずかしくて到底出来ないことを
無邪気に毎日 楽しんでたなぁ
で 別れ道で
「じゃ また明日ね」って さらっとバイバイ
ごっちゃんは私と別れた後も
1人でリコーダー 吹いてたなぁ
そのごっちゃん 5年生になった時
私と同じようにS先生から
「あなたは班長やりなさいね」
と指名され しばらくは班長続けてました。
(小学校5,6年生の2年間
代表委員も 学級委員も 班長もすべて
S先生の独断で決定していました。)
でも半年くらい経った時だったかな
ごっちゃんは
「先生 私 班長やめさせてください」
って 先生に直接 言いに行ったのです。
ひえぇ~~~
ごっちゃん なに言ってるの~~
そんなこと先生に言ったら
吊るし上げだよ~~
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
当時 S先生は
あからさまに生徒をひいきしてました。
先生が優遇していたのは
経済的に裕福な親の生徒
教育熱心な親の生徒
先生に絶対服従の生徒
例えるなら…
トランプで大貧民ってあるでしょ。
ちょうどこの頃流行っていて
いとこ達と鬼のように遊んだのだけど。
貧民 平民 大富豪
たとえが悪いかもしれないけれど
S先生の生徒への対応はそんな感じで
階級があったように 当時の私は思ってました。
上記のような先生ごひいきの大富豪の生徒はね
なにをやっても大丈夫。
先生に強く叱られることはまずないの。
でも 平民と貧民の生徒は叱られちゃう。
私は平民だったなぁと思う。
貧民の生徒はもっと大変。
よい行いをしてもほとんど褒められず
先生に揚げ足をとられることが多く
親の経済状態をみんなの前で言われることもあり
子供心にひどい差別を感じてた。
平民と貧民の生徒たちが
なにかやらかしてしまった時 先生は
みんなの目の前で吊るし上げ
さらし者にするようなことが何度もあったのね。
私も 吊るし上げられたこと があるので
その恐怖は経験済み
そしてやっぱり…
同じく平民だったごっちゃんの
この「班長やめたい件」については
私が2年間の中で覚えている最上級の吊るし上げ
となりました。
クラス会議が設けられ
先生の厳しい詰問攻めにあい
先生を怖れていたクラスのみんなからは冷たい視線を浴び
ごっちゃんは槍玉にあげられ…
だけど ごっちゃんは
涙を見せることなく その場を耐え
班長をやめました。
平民から 自ら志願して
貧民になった ごっちゃん。
その後も何度となく
先生からバッシングを受けたよね。
時にはごっちゃん自ら
「フッたカエル フラれたカエル カップルになったカエル」
なんて先生を逆なでするような
W三角関係の蛙の絵を描いて提出したり。
でもごっちゃんはとっても絵が上手だったので
「はしたない絵っ」
と先生に吊るし上げられながらも
教室の壁に貼りだされていたっけ。
「ご ごっちゃん だいじょぶ?」
って思いつつ
私は自分の身を守るのに精一杯で
先生のことを悪く言うことも出来ず
ごっちゃんに
なんて言ったらいいのかもわからず…
それらのことについて
お互い話すことも出来ず…
だけど それからも
2人でリコーダーを吹きながら
一緒に下校してました。
先生はそんな私に
「あなた 後藤さんから離れなさい!」
って何度言ったことか。
でも私は
ごっちゃんとリコーダーを吹きながら帰ることを
やめませんでした。
卒業式前 先生に
「あなたは結局 後藤さんと離れなかったわね。」
と ため息まじりに言われたけれど
でも この
ごっちゃんと一緒にいたことに関しては
先生にどう言われても
私は「怖い」とは思わなかった気がする。
先生の前で ただ
「はい」とだけ うなづいた記憶です。
その後 私はごっちゃんと同じ中学に行き
中3の時に再び同じクラスになったけれど
部活も仲良しグループも違ったので
遊ぶことも一緒に帰ることもなくなりました。
時々
「ごっちゃんがまた
上級生に更衣室に呼び出されたって!」
とかいう噂を聞いたけど
私は
「あのS先生の制裁を
ものともしなかったごっちゃんだもの
1つ2つ年上の子に何されたって どってことないでしょ」
と安心してた。
実際はどうだったのか
それさえ話す機会もなかったけれど。
5、6年生の時は
自分でもよくわからなかったけれど
私はごっちゃんを尊敬していたんだと思います。
「先生 班長やめさせてください」
「やめたいんです 私」
本当は私もごっちゃんみたいに
先生に本当の気持ちを言いたかったんだろうな
先生の気持ちを逆なでするようなこと
私もちょっぴり してみたかったんだろうな
そんなこと怖くて
なにも出来なかったけれど…
それに本当は先生に吊るし上げられた時
ごっちゃんだって きっと
怖かったよね
泣きたかったよねぇ
誰かに話 聞いて欲しかったんじゃない?
なのに私 ごめんね
ちっちゃくて 弱くって
ほんと なんにも出来なくて…
何か出来たらなぁと思いながらも
怖くて何も出来ないまま
だから あれからもずっとごっちゃんと
リコーダーをただただ吹きながら
一緒に帰っていたのかもしれないな。
別居してからよく
目と耳に入ってきたメッセージ
「人に何を言われても自分を貫く」
「自分の道を信じて進む」
それが大事だと思ってきたけれど
私にとって 1番わかりやすいモデルは
あの頃の11歳と12歳のごっちゃんだったよ
自分の気持ちに 素直にそのまま従って
だけど
怖くて 泣きたくて 話したい時は
そうして
怖くて 泣きたくて 話したい人は
受け止めて
これからは行くね
キャンディキャンディと
花の子ルンルンの笛の音が
頭の中で響いてる(*^^*)
思い出と一緒に来てくれて
ありがとうね ごっちゃん
~ つづく ~
写真が1枚だけあった^^
左端わたし 右端ごっちゃん
共に7歳 40年前^^;
本心 表明 貫く
あなたは自分らしく行動し
その姿勢を貫き通せる人です
「本当は私はこうしたい!こうする!」
という思いが確かに心にありますね。
もし今 心にモヤモヤした想いがあるならば
その本心が外に出たがっているサインです
本当の自分を出すには怖さもあるでしょうが
少しずつ本来の自分を表明してみましょう
その方が心が楽になるはずです