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今日は大好きだった父の立ち日
父は第五福竜丸の乗組員でした
生前は色んな話を聞きました
被爆まさにその時
当時の環境
入院時の状況
地元に帰って来た時の仕打ちなど・・・
毎日、ひと時も気の休まることがなかった
そうです
退院してから亡くなるまでの間に
新聞記者さん
学生さん
団体さんなど色んな方面の方から
話を聞きたいと家に来ていました
その話の中には
並大抵の差別ではなかったので
乗組員だったことを隠し
目立ってはいけない
ひっそりと生活をしてくれ!
と言われた話も
差別される中、頑張ってくださいという
励ましの手紙をくださる人もいたそうです
その励ましが、とても嬉しかったそうです
偶然にも亡くなった直後に新聞記者さんが
訪ねて来てくれて・・・
でも、もうこの世にはいないことを伝えると
新聞に訃報の記事を載せますと
言ってくれて載せてくれたのですが
SNSやネットでのコメント欄に・・・
僕のおばあちゃんは83歳前になくなった
そんだけ生きればいいだろう
それがどうした
そんなこと載せるなとか
沢山の中傷コメントが書かれていました
そこまで言うかってショックでした
やっぱり、命日がくるとこの中傷コメントを
思い出してしまう自分がいます"(-""-)"
今日は少しだけセンチメンタルに
なってます
最後までお読みいただきありがとうございます
京加