ミュージカル「ミス・サイゴン」
8月2日の夜公演を帝国劇場で観劇してきました。
日本初演30周年の記念すべき公演。
コロナ禍で中止も危ぶまれるなか無事に幕が上がりほっとしました。
私にとっては今回が初めての「ミス・サイゴン」です。
座席は1階A列(最前列!)。何とも恵まれた「ミス・サイゴン」デビューです。
実はこの良席チケット、手に入ったのは1週間前のことです。
チケットに氏名が印字されているように正規のルートを通じた合法的な定価購入です。
コネやテクニックといったものではないごく普通の方法でこの幸運を引き寄せました。
運は待つものではなく執念で引き寄せるもの!なのかもしれません。
主役の光る演技
「ミス・サイゴン」の観劇は初めてですが、楽曲はYouTube、テレビ番組、ミュージカルコンサートを通じてよく知っていました。舞台映像もロンドン25周年記念公演のDVDを何度も観ました(特にジョン・ジョン・ブリオネスのエンジニアは大好きです)。
さてこの日のキム役は高畑充希さん。エンジニア役は伊礼彼方さんでした。
高畑さんの演技力と表現力は誰もが知るところだと思います。
一方で歌の方は大丈夫かな?と失礼ながら思っていました。
しかしそうした心配も完全な杞憂に終わりました。
彼女の素晴らしい演技と歌は観る者を強く引き込み魂を揺さぶります。
特に第1幕のラストに歌い上げる「命をあげよう」のインパクトには驚きました。
もう一人の主役であるエンジニア。
伊礼さんがハマり役であることは予感していました。
昨秋のミュージカルコンサート(鎌倉)で繰り出された爆笑トークがそれを裏付けていますので。
このキャスティングには前期の「女性史」の授業でも太鼓判を押していたところです。
そして期待通り!でした。
笑いを誘いながら哀愁漂わせるろくでなしのエンジニア。失礼ながら伊礼さんにはピッタリの役でした(笑)。
生の迫力は全然違う!
今回は最前列であったため舞台に全神経が集中し魂が完全に物語へ入り込みました。
ラストの重すぎるエンディングはそれだけにものすごくずっしりきましたが、放心状態の後に湧き上がる満足感は格別でした。
特に「ミス・サイゴン」のスケールの大きさと躍動感は強く印象に残りました。
光と闇が映し出されるサイゴンとバンコクの夜の街
アメリカ大使館(実際はCIA庁舎?)を飛び立つ実物大ヘリコプターとその爆音
自由の女神の実物大(?)の顔と「アメリカンドリーム」
巨大なドラゴンの舞
威勢よく行進するドラゴンダンサー
それを後ろで不気味に見つめる巨大な黄金のホー・チ・ミン像
どれも圧巻で鳥肌が立ちます!
これは生でないと絶対に味わえない迫力です。
チケット代は高額ですが、目の前で展開される圧倒的なパフォーマンスと舞台装置はそれに十分見合うものだと思います。
ベトナム建国の父ホー・チ・ミン
ところで世界的な人気ミュージカルである「ミス・サイゴン」は、過去にいろいろと物議をかもしてきたことをご存知でしょうか。たとえば、「アジア人差別」「女性蔑視」といったクレームを招き長年各所から批判を受けてきた作品でもあります。確かに夜の繁華街の描写はかなり過激ですね。女性の扱い方についての下品な表現も目立ちます。
とはいえまずは自分自身の素直な目で作品を観てみることが大事かもしれません。
このミュージカル自体は素晴らしいエンターテインメント作品であると思います。そして劇中にはベトナムの歴史、アメリカの歴史、ジェンダーの問題など、思考を刺激する素材が詰まっています。
いつか大学の授業で「ミス・サイゴン」を取り上げ、学生たちと一緒に語り合ってみたいですね。
おすすめの1冊
「ミス・サイゴン」を観劇するにあたっては事前に次の本をお読みになっておくことをおすすめします。
ただ、ベトナム戦争期のロックミュージックについて熱く語られる部分がありますが、世代を異にする我々には???という感じでした。
あとこの本で一つ残念なのは、ミュージカルの重要な背景となるベトナム史に対する長期的な視野が少し欠けていることではないかと思います。
たとえば劇中の「♪モーニング・オブ・ドラゴン」で歌われる「百年の恥」「今こそドラゴンの夜明けだ」というフレーズ、この「百年」とは何を意味するのでしょうか?
ベトナム人にとってのベトナム戦争とは単にアメリカを追い出したという事実だけが重要なのではありません。約1世紀にもおよんだ欧米の支配に終止符を打ち真の独立を達成したという点に「1975年サイゴン陥落」の意味があります。ベトナムは19世紀以来の長きにわたってフランスの植民地統治を受けてきたわけですが、これは単にフランスとベトナムの二国間関係にとどまりません。フランスの背後にいる欧米世界全体(日本を含む帝国主義の支配者共同体)とベトナムの関係でもあったといえるでしょう。
どういうことかと申しますと・・・・
つまりミャンマー(ビルマ)やマレーシアをイギリスが、インドネシアをオランダが、ベトナム・ラオス・カンボジアをフランスが、フィリピンをアメリカがというように、東南アジアはタイ(シャム)を除いてことごとく欧米の分割支配下にありました。欧米諸国が相互の勢力範囲の境界線を引き、お互いに支配権や利権を認め合いながら共同で東南アジア全体を支配していたとみなせるのではないでしょうか?
もちろんそれ以前にもベトナムは中国との関係において従属的な歴史を抱えていました。「ミス・サイゴン」に描かれるベトナム民衆のエネルギーや分断の背景を理解するには、ベトナムが背負ってきた長い苦難の歴史を知っておく必要があると思います。
「植民地主義」や「帝国主義」を研究してきた歴史学者(私)としては、この辺りの背景知識をもう少し本の中に盛り込んでほしかったなと思います。そうすれば「♪モーニング・オブ・ドラゴン」の迫力やベトナム国民が100年のくびきから解放されるシーンのリアリティを存分に味わうことができたのではないかと思った次第です。
いずれにせよ、観劇前(もしくは観劇後)に一度この本を読んでみることをおすすめします。
演劇論としても歴史論としても非常に充実しており有意義な指南書になるはずです!
いつか大学の授業で「ミス・サイゴン」を取り上げる際は、この書籍から得られた知見もぜひ利用させていただきたいと思っています。
おわり