ミュージカル「エリザベート」が誕生してまもなく30年になります。

 

本作は19929月にウィーンで初演を迎え、4年後の1996年、海外での初公演が宝塚歌劇団(雪組)で催されました。同年の夏には、世界3番目の上演国としてハンガリーへ渡り、それ以後この作品は世界14カ国へ進出し今日に至っています。

 

本日はハンガリー版「エリザベート」についてご紹介したいと思います。

 

オーストリアの隣国ハンガリーは、皇妃エリザベートがこよなく愛した国です。彼女はハンガリー語が堪能でたくさんのハンガリー人の友人もいました。帝都ウィーンを離れハンガリーの居館で暮らすことも多かったエリザベートは、晩年、この地で生まれた三女とともにハンガリーで長期間滞在することもありました。それゆえ、「王妃エルジェーベト(Királyné Erzsébet)」に対するハンガリー国民の人気は絶大です。彼女をモチーフにしたミュージカルがこの国で熱狂的に受け入れられたのも当然かもしれません。

 

ちなみに、彼女の夫である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に対するハンガリー人の評価は昔も今もかなり厳しいものがあります。自由や独立を抑圧した専制君主としてのイメージがつきまとっているからです。夫妻に対するハンガリー人の視線はこのようにかなり対照的なものとなっています。

 

ハンガリー版「エリザベート」 

 

さて今回、ある方よりハンガリー版「エリザベート」の楽曲CDを大学にご寄贈いただきました。私自身、これまでYouTubeでハンガリー版の映像を視聴したことはありましたが、全体を通したクリアな音源に触れたのは初めてです。しかも今となっては貴重な1996年のハンガリー初演版の楽曲集です。

 

 

このハンガリー初演版は、セゲド・オープンエア・フェスティバル(Szegedi Szabadtéri Játékok)とブダペスト・オペレッタ劇場(Budapesti Operettszínház)で上演されており、CDにはエリザベート役シャーファール・モーニカ(Sáfár Mónika)さん とヤンザ・カタ(Janza Kata)さんの歌声が混合で収録されています。

 

CDのタイトルと楽曲のラインナップ(歌い手)は以下のとおりです。

 

Elisabeth 25 Dal A Musical Magyar Nyelvű Változatából

「ミュージカル・エリザベート ハンガリー語版25曲」

 

PrológusFöldes Tamás) 「プロローグ」

Mint TeJanza Kata, Marik Péter 「ようこそみなさま」

Útvesztő Minden ÚtMester Tamás 「愛と死の輪舞」

Mindenkinek Érdeme SzerintFöldes Tamás, Molnár Piroska, Sasvári Sándor) 「皇帝の義務」

Ahogy Azt Az Ember GondoljaFöldes Tamás, Molnár Piroska, Felföldi Anikó, Sasvári Sándor) 「計画通り」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「あなたが側にいれば」が入る

Minden Kérdés ElhangzottFöldes Tamás 「不幸の始まり」

Nem IllikMolnár Piroska, Marik Péter 「結婚の失敗」

A Végső TáncMester Tamás 「最後のダンス」

Mert Egy Császárnénak Illik...Molnár Piroska, Sz. Nagy Ildikó, Sáfár Mónika, Sasvári Sándor 「皇后の務め」

Az Már Nem Én Lennék...Sáfár Mónika) 「私だけに」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「結婚生活の諸段階」「闇が広がる」が入る

A Vidám ApokalipszisFöldes Tamás 「陽気な黙示録」

Nyisd Ki ElisabethSasvári Sándor, Janza Kata) エリザベート、開けておくれ」

TejFöldes Tamás 「ミルク」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「皇后の務め[リプライズ]」が入る

Az Már Nem Én Lennék... [Repríz]Sasvári Sándor, Janza Kata 「私だけにリプライズ

GiccsFöldes Tamás 「キッチュ」

ÉljenFöldes Tamás 「エーヤン」

Mama, Hol Vagy?Kékesi Gábor, Mester Tamás) 「ママ、何処なの?」

Elpirulni, Ó, Itt Az Nem ValóFöldes Tamás, Felföldi Anikó) 「マダム・ヴォルフのコレクション」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「微熱-最後のチャンス」「ベラリア」「一時も休まない-年月は過ぎる」が入る

Ma Nagyot Nőtt Az Árnyék [Repríz]Szomor Györg, Mester Tamás) 「闇が広がる[リプライズ]」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「独立運動」「パパみたいに[リプライズ]」「憎しみ」が入る

Bennem Mint TükörbenSzomor Györg, Sáfár Mónika) 「僕はママの鏡だから」

CDには収録されていないが、ハンガリー初演劇場版ではここに「マイヤーリンク」が入る

SiratóSáfár Mónika) 「死の嘆き」

Az Új KollekciómFöldes Tamás) 「新しい私のコレクション」

Mint Két GályaJanza Kata, Sasvári Sándor) 「夜のボート」

EpilógusFöldes Tamás) 「最後の証言」

Lehull A FátyolLehull A Fátyol) 「ヴェールが降りる」

 

「エリザベート」ファンの方なら「私が踊る時」が収録されていないことにすぐお気づきになられるかと思います。「私が踊る時」は2001年のドイツ・エッセン公演から挿入された曲ですから、当然のことながら1996年のハンガリー版にはまだ入っていません。楽曲の全体的な構成は1992年のウィーン初演版や1996年の宝塚版に近いといえるでしょう。

 


ハンガリー版の特徴

 

ハンガリー初演版には以下のような興味深い特徴もあります。

 

★「プロローグ」に登場するルッキーニは、ラストシーンの自殺時に用いるロープを首へ巻き付けた状態で現れます。さらには、エリザベートを暗殺する際に使用したやすりをこの時すでに手に持っており、目の前に現れた純白のドレスをそれで激しく突き刺します。自身とエリザベートの「死」を暗示したオープニングといえるでしょう。

 

★冒頭のエリザベート転落死 → 蘇生シーンには、4年前のウィーン初演版にはなかった「愛と死の輪舞」が入ります。宝塚版からの変更点が採用され、エリザベートに対するトートの愛が強く打ち出されます。今ではこのミュージカルの定番の曲となりました。

 

★バート・イシュルのお見合いへ赴くシーン。そこに本物の馬車(大きな白馬2頭!?)が登場し、舞台上を歩行する場面は驚きです。

 

★第1幕最終曲「私だけに[リプライズ]」において、エリザベートはせり上がる台に乗って登場しますが、日本版やウィーン版でおなじみの扇のアクションはなく、普通に歌い上げて第1幕が終わります。

 

★「マイヤーリンク」の死のワルツのシーン。ここに心中相手のマリー・ヴェッツェラらしき女性が現れルドルフの衣服を強引にはぎ取ります。上半身裸となったルドルフがトートのもとへ駆け寄り、死の接吻を受けて絶命する流れとなります。

 

こんなのもはや私ではないじゃない!

 

ハンガリー版の見どころは何といってもハンガリーそのものが関係するシーンです。ハンガリー人がハンガリー人を演じる、ハンガリー語の演技はそのリアリティが絶大です。

 

たとえば「陽気な黙示録」に見られるはつらつとしたハンガリー独立運動。

 

「エーヤン」におけるハンガリー語のリアルな発声。国王夫妻の王冠と装束も史実に近いデザインにこだわっています。頂上の十字架が傾いた聖イシュトバーンの王冠。日本の宝塚版でもぜひ取り入れてもらいたい再現用の小道具です。

 

各曲のタイトルにも日本語版やドイツ語版とは異なるユニークな特徴も見られます。たとえば、このミュージカル一番の見せ場であるエリザベートの「私だけに」。ハンガリー語では曲名が以下のような表記となります。

 

Az Már Nem Én Lennék

アズマール ネミーン レニーク

 

直訳すると「こんなのもはや私じゃないでしょう」。英語にするとThat wouldn't be me anymore、ドイツ語ですとDas wäre nicht mehr ichですね。

 

ミュージカル「エリザベート」を代表するこの名曲は、日本版のタイトルは「私だけに」、ウィーン版(ドイツ版)では「私は私だけのもの」Ich gehör nur mir)です。それに対しハンガリー版では、タイトルに否定形(Nem)が入るという面白い特徴があります。ニュアンスもそうなると少し変わるような気がします。

 

16歳の純真無垢なお転婆娘がハプスブルクの王宮に皇妃として嫁ぎ、厳しい作法やしきたりにがんじがらめにされる日々。人形のように扱われながら息苦しい宮廷生活を送る少女が鏡に映る自分自身に向かって

 

「こんなのもはや私ではないじゃない!(Az Már Nem Én Lennék!)」

 

と感情を爆発させ叫ぶ姿が想像できそうです。

 

本当の私は「こんなの」じゃない。

ポッセンホーフェンの野原を動物とたわむれ駆け回った少女時代の私。大家族に囲まれ、毎日楽しく笑顔が絶えなかった日の私。あれこそが「本当の私」

 

つまり・・・・本当の私は今ここにはいない。

 

エリザベートが流暢なハンガリー語をマスターしていたことを思うと、シシィ役の女優さんがハンガリー語で熱唱する姿はじーんときます。エリザベートがハンガリー語を習い始めたのは20代の後半ですから、「私だけに(「こんなのもはや私じゃないでしょう」)」の場面、つまり結婚直後の時期に彼女がハンガリー語で歌っていたということは実際にはあり得ません。そうはいっても、ハンガリー語を身につけた後のエリザベートは生き生きしていたと伝えられていますから、彼女にとっての「本当の私」はハンガリー語で歌う自分だったのかもしれません。

 

それゆえ全編がハンガリー語で構成されるミュージカル「エリザベート」は独特の魅力を醸し出しています。