節度使には朝廷に使者を派遣して、任務報告をする義務があります。
733年、張守珪は安禄山を使者に選び、長安に報告に行かせました。
この時、安禄山は出世を確信したに違いありません。
その後、安禄山は范陽副節度使に抜擢されました。
張守珪から信頼され、宰相達と顔合わせを果たし、出世した安禄山。
ところが、図に乗っていた安禄山は、
契丹と奚の罠にはまって、大敗してしまいました。
宰相・張九齢は、張守珪に、
安禄山を死刑に処するよう言いました。
でも、玄宗は、安禄山を失いたくありませんでした。
安禄山は語学堪能で、豊富な人脈と智略をもっています。
玄宗にとって、安禄山は利用価値の高い人物だったんですね。
結果、安禄山は死刑に処されることなく、
副節度使の肩書を奪われただけでした。
張九齢は「安禄山は国に危機をもたらします」と忠告しましたが、
玄宗は「しつこい」と言って、聞き入れませんでした。
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