巨漢・安禄山④ | 歴史で旅する

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節度使には朝廷に使者を派遣して、任務報告をする義務があります。

 

733年、張守珪は安禄山を使者に選び、長安に報告に行かせました。

この時、安禄山は出世を確信したに違いありません。

 

その後、安禄山は范陽副節度使に抜擢されました。

 

張守珪から信頼され、宰相達と顔合わせを果たし、出世した安禄山。

 

ところが、図に乗っていた安禄山は、

契丹と奚の罠にはまって、大敗してしまいました。

 

宰相・張九齢は、張守珪に、

安禄山を死刑に処するよう言いました。

 

でも、玄宗は、安禄山を失いたくありませんでした。

 

安禄山は語学堪能で、豊富な人脈と智略をもっています。

玄宗にとって、安禄山は利用価値の高い人物だったんですね。

 

結果、安禄山は死刑に処されることなく、

副節度使の肩書を奪われただけでした。

 

張九齢は「安禄山は国に危機をもたらします」と忠告しましたが、

玄宗は「しつこい」と言って、聞き入れませんでした。

 

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