武則天の譲位と中宗の即位 | 歴史で旅する

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705年、武則天は李顕に譲位し、50歳で李顕は復位しました。

(以下、李顕 → 中宗)

 

張兄弟の兄弟である張同休、張昌期、張昌儀は斬刑となり、

張兄弟に仕えていた殿中侍御史・鄭愔は宣州(安徽省宣城市)に左遷されました。

 

一方、クーデターを計画、実行した、

張柬之は夏官次郎・同鳳閣鸞台三品に、

袁恕己は鳳閣侍郎同鳳閣鸞台平章事・宰相に、

崔玄暐は内史に、

敬暉、桓彦範は納言に任命されました。

 

武則天が即位した時、国号を周に改めましたが、

国号は唐に戻り、大周帝国は15年で幕を閉じました。

また、中宗は則天文字を廃止しました。

 

武則天は、洛陽宮から皇城西にある上陽宮に移されました。

武則天が洛陽宮を去る時、宰相・姚崇は、周囲の目を気にせず号泣しました。

張柬之と桓彦範は、

「朝廷が落ち着いていない時に、宰相が泣いては、更に混乱が生じてしまう」

と言って、姚崇を諭し、亳州(安徽省亳州市)刺史に左遷しました。

 

 

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