種太郎の歴史徒然草

種太郎の歴史徒然草

平安・鎌倉時代好きが明治時代や現代まで、人物、史跡、合戦、刀剣、鎧、古武道など幅広く感じたことを徒然(つれづれ)なるままに書くブログです。歴史のおもしろさわかんねって人にも楽しさや魅力を発信できたらと思ってますので、よろしくお願いします。

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みなさん歴史楽しんでますか?久々の更新の梅干種太郎です。

 

今日は去年の大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公明智光秀について・・・ではなくその家臣明智左馬介秀満(光春)の誉の湖水渡りについて紹介したいと思います。

 

明智光秀は超有名ですよね。本能寺の変で織田信長に斃し、天下分け目の天王山と言われた山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、小栗栖で落ち武者狩りに遭い、あえなく最期を迎えた悲運の武将です。

 

光秀さんも織田家の中でめっちゃ頑張ってきた人だけあって、最近では謀反人という汚名のイメージではなく、半端ねぇパワハラ上司の信長に目にもの見せたサラリーマンには他人事には思えない血の通った人間としての魅力があり、人気も高まっていますよね。

 

きっと真面目で優秀な人だったろうに。僕の中では信長は天才、光秀は秀才といった感じがします。光秀は時代の秩序の中で優秀であって信長の秩序破壊は根本的なところで理解できなかったのでしょうね。この辺り秀吉とは明確な違いが出て、最終的には敗れてしまいましたね。

光秀が太平記の時代にいれば将軍になれたのかなぁと少し妄想してしまいます(笑)

 

光秀さんのことはこの辺りにして、今日の本題マイナーだが戦国に強い輝きを残した明智左馬介秀満(以下左馬介)について書いていきましょう。

 

左馬介についてはその存在は確認されているそうですが、詳しいことはあまり分かっていないようです。単なる家臣とも、親族であったとも言われているようです。明智左馬介と言えば昔流行ったプレステ2の鬼武者が有名ですね。金城武の棒読みが懐かしい。あの彼のことです(笑)

 

伝えられている話では、山崎の合戦が明智軍の敗北に終わった報を明智秀満は安土城で聞き、急いで、明智家の居城坂本城へ引き上げを開始します。

 

しかし、勝ちに勢いづいた羽柴軍の堀秀政らが大津のあたりを占拠しており、坂本城への道が塞がれてしまいました。そこで、左馬介はなんと陸路を諦め、馬を湖に入れて、馬と泳いで琵琶湖東から西の坂本城へ向かいます。その様を見た羽柴軍は泳ぎ切れるわけないと嘲りますが、左馬介はなんと上手に渡っていくではありませんか。途中からその様を羽柴軍も称賛するようになります。見事に泳ぎ切った左馬介は馬を乗り換え、坂本城へ向かいました

 

坂本城に着いた左馬介は明智家の人々の後始末をつけ、襲って来た羽柴軍に明智家の財宝を天下の宝だと言ってくれてやります。しかし、光秀からもらった大切な宝刀だけはくれやるわけにはいかぬと言って自害して果てます。

 

この一連のエピソードが「誉の湖水渡り」として語り継がれています。

 

そんなすごいことなのって感じもしますが、なぜこのエピソードが誉なのかは単なる馬術ではないからでしょう。左馬介は自分のことだけ考えれば安土で自害して果てても別に悪くはないでしょう。しかし、それを潔しとはせずに光秀の家族や明智家の人々が羽柴軍に辱めを受けないよう、決死の覚悟で、後始末をつけに行きます

 

この行動はやはり誉だし、誠の忠と言えるのではないでしょうか。そのいじらしさ、人としての美しさを皆が称えたからこそ、このようなエピソード残っているのでしょう。

 

光秀は残念ながら見事な最期とは言えなかったかもしれませんが、左馬介がいたことによって明智家としては見事な最期であったと言えるでしょう。

 

名将には必ず名臣ありですね。あまり知られていませんが、素晴らしいお話です。