歴史系図トリビア
これは楽しい!おもしろい!
そう感じるような歴史上の人物の系図を
紹介していきます
みなさんこんばんは(´Д` )。
本日は歴史好きなぶたさんの大好物!
楽しい歴史系図でございます(´Д` )!
ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。
本日取り上げるのは、天智天皇と天武系の天皇たちとの血縁関係です。
皇統の呼び方として、天智系と天武系という言い方があります。
天智天皇の崩御後、天智天皇の弟の大海人皇子と息子の大友皇子との間で皇位継承を巡る壬申の乱が勃発、結果大海人皇子が即位して天武天皇となり、以降は天武系の皇統が続きます。
しかし天武天皇の玄孫に当たる称徳天皇は女帝であったため、生涯未婚で子供がおらず、皇位は紆余屈折を経て称徳天皇の異母姉妹・井上内親王を妻としていた天智天皇の孫・光仁天皇が受け継ぐことになりました。
こうして天智系の皇統が復活したのです。
単純に考えれば、天智系は天智天皇の子孫、天武系は天武天皇の子孫ということになりそうですよね(´Д` )。
今回はこの点に関して見ていきます。
はい(´Д` )。
本日は「天武系の天皇は天武天皇以外、実は全員が天智天皇の直系子孫だった!?」という問題について見ていきたいと思います。
天智系が天智天皇の子孫なのは当然としても、いわばライバル的な皇統である天武系まで天智天皇の子孫とはこれ如何に?
という感じですよね(´Д` )。
では系図を見ていきたいと思います。
天智天皇・天武天皇は、ともに舒明天皇と皇極天皇を両親に持つ兄弟です。
前述のように、天智天皇ー大友皇子(弘文天皇)と皇位継承が続くはずだったところを、壬申の乱で大海人皇子が勝利して即位、天武天皇となり、以降は天武天皇の男系子孫に皇位が受け継がれました。
これが天武系です(´Д` )。
天智天皇はいわば天智系の祖、天武天皇は天武系の祖となります。
ただし、天武天皇の子孫に皇位が受け継がれるようになったと言っても、持統天皇と元明天皇は天武天皇の直系子孫ではありません。
持統天皇・元明天皇はともに女帝で、天智天皇の皇女であり、天武天皇にとっては姪に当たります。
持統天皇は天武天皇の皇后、元明天皇は天武天皇と持統天皇の皇子で皇太子であった草壁皇子の妃であり、ともに息子の早逝によって即位することになりました。
では、天武天皇と天武系の天皇たちとの関係を見ていきます。
前述のように、持統天皇と元明天皇は天武天皇にとっては姪であり、妻または息子の妻であって、直系子孫ではありません。
では次に天智天皇と天武系の天皇たちとの血縁関係を見ていきます。
なんと、弟である天武天皇以外、天武系の天皇はみんな天智天皇の子孫なんです。
持統天皇と元明天皇は天智天皇にとって娘。
以降の文武天皇・聖武天皇・孝謙天皇(重祚して称徳天皇)は皆、持統天皇と元明天皇の子孫となります。
意外なことに、傍系から即位した淳仁天皇も天武天皇だけでなく、天智天皇の血を引いているんです。
天智天皇の皇女である新田部皇女が天武天皇の妃となって舎人親王を生むのですが、その子供が淳仁天皇なんです。
すなわち、天武系は天智天皇の娘たち、そして娘たちの子孫ということになります。
天智天皇と天武系の天皇との血縁関係です。
綺麗に直系子孫になりました(´Д` )。
天智系と天武系を比較すると、大友皇子が壬申の乱で敗北し、以降光仁天皇の即位まで天智天皇の子孫は表舞台に立たなかったような印象を受けますが、実は天武系も天智天皇の子孫だったわけです。