「源清麿」

信州小諸の郷士山浦信風の二男として文化十年生まれ。兄真雄とともに河村寿隆に学び、後江戸に出て幕府講武所頭取兼兵学師範役の窪田清音の指導にて鍛刀。四谷に住み四谷正宗と呼ばれた名工です安政元年十一月十日、四十二歳で自刃した

刀は反りが浅く身幅広く、重ねころ合いで切先は延びて、特に平肉の少ない相州伝上位の姿に、焼幅の広い大乱れ、湾れ乱れを焼き荒沸えがつき、刃中に長い稲妻が現れている。

最大の特徴は、乱れの谷から刃先に向って真直ぐに匂い足が抜けており、地肌はよく詰んだ杢目肌で青黒く澄んでいる。

銘は、初め「一貫斉秀寿」「山浦内蔵助秀寿」後に「源正行」さらに「清麿」と改める。

門人に栗原謙司信秀、鈴木次郎源正雄、豊前守清人、源正雄の弟子に羽山円心などが居て、師の寿隆を含めて清麿一派と呼ばれている。

 

 

 清麿の説明と銘

 

「源正雄」

最近入手した刀を紹介します。

本名は鈴木次郎、美濃出身、江戸に出て名工清麿に学び、清麿の弟子の中で栗原信秀と双璧と言われる名工です。

函館での作刀も多い。
 

[種別]  刀
[銘文表] 武州住鈴木次郎源正雄
[銘文裏]  文久二年二月日
[刃長]    69,2cm
[反り]      1,7cm
[目釘]   一個
[]   金着一重 銅ハバキ
[刀身重量] 700g弱

 

「所見」

身幅尋常で重ねやや薄く、清麿系では比較的おとなしい作刀。

鎬造り、庵棟、互の目乱れで鎬筋まで掛かる焼幅、長い丁子足が出て金筋が出る。

帽子は乱れ込んで返り、鎬に棟区まで焼が入る。

地金は良く詰んだ無地風です。

棟に打ち込みを受けた削り疵が一カ所有り。裏に鍛え筋が一カ所出ています。

その他、刃切れ・曲り・歪み・膨れ・撓え・埋金・匂い切れ等の欠点は見られません。

白鞘入りで、実戦に使われた様な誉疵が有る幕末動乱生き残りのお刀です。

 

正雄は師・清麿に最も接近した名手であり、清麿門下中随一の腕前を誇る。

本作の銘は、(表)武州住鈴木次郎源正雄 (裏)文久二年二月日

 

以下画像ですが、電球を使用せずにフラッシュにて撮影しましたので刃紋の働きが不鮮明です

 

中央の銘は本作の銘です

 

山浦真雄の説明

銘は、初銘「宗利」「壽昌」「山浦真雄」「遊射軒正雄」「山浦昇源正雄」「天然子壽昌」、

晩年は「壽長」。明治七年没、享年七十一歳。

刃紋は、互の目、湾れ刃、砂流し金筋からむ。

 

 

過去記事の「真田家試刀会」を参照してください。

 

 

栗原信秀の説明と銘

 

 

現在福山市美術館で展示している内容です。

 

一昨日行って来ました。土・日は刀剣女子ファンが遠方からも来ますので、凄い人出だそうです。国宝・重文等も展示していますが、残り会期も僅かです。