「土方歳三」

 土方歳三の愛刀といえば、日野の土方家に遺る刃長二尺三寸五分の会津十一代「和泉守兼定」です。

 

土方家に現存する歳三の兼定

 

池田屋事件当時の歳三の差料が判明する書簡がある。近藤勇が元治元年(1864)十月二十日、佐藤彦五郎に宛てた書簡の中に、

「土方氏も無事罷在候。殊に刀は和泉守兼定二尺八寸、脇差一尺九寸五分堀川国広

歳三と十一代兼定は同一期間に京都におり、会津藩という共通の集団の中にいるので、両者は当然顔見知りであったはずだ。

 二尺八寸という長さの歳三の刀は、特別に注文した刀と思われるが、転戦に継ぐ転戦のためか現在は残っていない。

 また、殆ど刀の長さに近い国広の脇差も、戦闘を想定して差していたと思われるが、堀川国広といえば東の横綱(虎徹)に対して西の横綱と言われる程高名な刀匠で、当時としても相当高額だったと思われる。

 

 また、歳三が日野の佐藤彦五郎に贈った刀に康継銘がある。

表 葵紋 以南蛮鐵於武州江戸越前康継

裏 安政六年六月十一日、於傅馬町雁金土壇拂山田在吉試之

  同年十一月廿三日、於千住太々土壇拂山田吉豊試之

 この歳三が贈った康継は江戸中期頃の江戸康継であるという。幕末期に刀の斬れ味を試す(試斬)が流行した。

 日日が異なるが二人の山田氏が試斬している。雁金土壇とは両脇下を結ぶ直線を裁断することであり、下の土壇まで斬り込んでいる。太々とはその上を裁断しているので、良く斬れた証明である。

 この康継の存在によって、歳三がいかに斬れ味を重視していたかが判るのである展示品であるが、残念ながら撮影禁止でした。

 

 

以下、展示品の和泉守兼定の刀:刃長63,6cm、反り1,0cm。個人蔵

 

何と綾杉肌の鍛えなのだ。綾杉鍛えは波紋がどうしても直刃調(足が入らないから)である。しかし、四方詰(清麿系が有名)の造り込みになっている。

 

「芹沢鴨」

新選組局長筆頭芹沢鴨。生年は明らかでないが、神道無念流・居合の達人であったと伝えられる。

芹沢鴨の本名については、木村継次という定説の他、下村継次・芹沢継次という説がある。

水戸天狗党出身の芹沢と同時に、あるいはその前後に近藤派によって一掃された新見錦・平間重助・平山五郎・野口健司ら水府出身の新選組幹部らは、すべて神道無念流に属している

 

 

芹沢鴨の愛刀、三原正家(備後・三原)大磨り上げで金粉銘。刃長63,9cm、反り2,1cm。個人蔵。

大坂力士乱闘事件の時に所持していた正家は、刃長二尺八寸だという。

 

 

 

「薄桜鬼:刀剣録」「沖田総司:斎藤一」へ続く