こんにちは。
日中汗ばむくらいの暖かい日があるかと思えば雪が舞う寒い日もあったりする尾張地方ですが、こんな日々があるからこそ春も近くまでやってきているのかなァ、と桜が待ち遠しくなります。
今時分はキャンディーズを聴きながらの散策もいいかもしれません。
ちなみにミキちゃんファンでした。
さてさて、前回からの続きにて。
処刑されたキリシタンの霊を弔うために建てられた栄国寺。
尾張藩主光友公の創建にて、いたるところに金ピカ徳川マーク。
見事な細工です。
お寺には博物館もあったので覗いてみましたが先客が何名かみえたのでパス。また次回行ってみます
コレ、なかなか貴重だと思います。鬼瓦の葵紋が削られているのですが何故でしょうか?
答えはこちら。明治になると徳川家ゆかりの寺院などは焼かれてしまうことが多々あったので免れるために削ったのだとか。
キリシタンの弾圧もそうですが先人達のご苦労を忘れてはいけませんネ。
古渡城址の西側、今は普通の「道」ですが江戸時代は名古屋城へ至るメインストリート。ずーと向こうへ歩いていくと名古屋城に着きます。
名古屋城へ至るメインストリートには木戸があったのですがここは橘町大木戸があったところなのです。ここが閉まると城下町と城外の行き来ができなくなるためお城の防御防犯システムになっていたのです。
江戸時代の古地図ではこんな感じです。
城址の南西にお稲荷さんを発見。城址を含めてお城を散策する時は鬼門(北東)と裏鬼門(南西)、街道や河川、池などの地形を感じながら歩くと楽しいのですよ。因みにここは裏鬼門方向。
現在の高速道路下が鎌倉街道なのだとか。やはり古渡城は街道を押さえる重要な位置に存在していたのですね。
ここのお稲荷さんも金ピカ徳川マーク。
一周して振り出しに戻ってきました。
古渡城址、次回もう一度だけお付き合い下さい。
*コレ買ってしまいました。二冊で¥2万!
戦災前の名古屋城周辺や何も無かった頃の清洲城址など、散策の足しになればと思って・・・。