こんにちは
時折の寒さが身に染みる今日この頃でありますが、先日のポカポカ陽気に誘われて下津城跡周辺の鎌倉街道を散策してきました
まずはいきなり土塁跡です。
下津城の北側の土塁跡と伝わります。
土留めとして石垣が使ってありますがこれはもちろん新しいもの。
ただこの平坦な地に唯一の遺構としてこれだけの段差が残っていることに感激です。
城跡の東を流れる青木川です。
外堀の跡かと思いきや以前は城跡の西側を流れていたそうで、やはり中世城館においては河川の存在はかかせませんな。
治水工事で街中から郊外へ移したのでしょう。
城郭の鬼門にはお宮があります。
そしてこちらが中心部と思われる城跡です。
中央に石碑がポツンとあるのみで他に何もございません。
石碑をアップします。
下津(おりづ)城は尾張の守護所として1400年頃に建てられたそうで、城というよりも中世の館のイメージが近いと思われます。
尾張守護大名が斯波氏、守護代が織田氏という関係で、織田家も主家、分家と分かれており、応仁の乱ではそれぞれが対立します。
「織田敏廣」「足利義教」の文字が見て取れます。
室町六代将軍義教が富士遊覧のためにここへ宿泊したのです。
この頃の清洲城は清洲館といわれており、守護所別郭という扱いで存在しておりましたが下津城は戦乱で炎上し、やがて清洲城が尾張の守護所に替わってゆくのです。
信長公が生まれる56年程前の出来事です。
石碑を西側より。
臭いという人もいますがネギのいい香りがしてきます
向こうの下津小学校も城郭の一部かと推測されます。
幸い連休中でしたので小学校付近もカメラを持って堂々と歩けるのです。平日にウロウロしていると通報されそうで
城跡の北側(一宮方面)はこんな感じです。フラットでしょ?
岩倉城や浮野古戦場、清洲城も割と近所ですよ。
清洲市、北名古屋市、稲沢市、一宮市の境目のような場所のため今も昔も交通の要衝でして、朝晩は渋滞します。
城跡から西へ歩くと岐阜街道が通っています。
こんな立派なお宅も残っているのですね
今度は東へ歩きます。
すると鳥居が見えてきましたのでお参りします
このあたりは鎌倉街道に面していたそうですが今は途切れ途切れでどの道筋かわかりません。
こちらは住吉神社で新緑と朱色が鮮やかで目に痛いくらいです。
その住吉神社の隣に立派なお宅があります。
石碑をアップしてみます。
西に岐阜街道ができたので街がそちらへ移り鎌倉街道は廃れてしまったようですが,かつては鎌倉街道の宿場があったようです。
更に南へ歩くと廣しょう寺があります。(しょうの文字は該当する文字がありません)
古い街道沿いにはお寺や神社が多く、順番にお参りするとご利益十倍のような気がしてきます。
宝くじが当選したあかつきには半分差し上げますのでどうか・・といつも手を合わせるのですが下衆でしょうか
織田氏代々之墓とありますので興味津々。
墓地を歩き廻って探してみます。
すると・・・ありましたぞ
現在もご子孫の方がお参りにみえてるようです。
「織田家代々霊」とあります。
ここでいう織田家とは下津城主の織田氏と岩倉城主の織田氏に所縁のある方々のようです。
地震で倒れてしまったのでしょうか。墓石が割れていますが・・・
織田信賢は岩倉城主かと。
となりの織田豊子さんは存じ上げないのですが明治の織田子爵のご子孫の方でしょうかネ・・・
ご住職に聞けばよかった・・・
天気が良く、お庭も綺麗でした。
ここまでありがとうございます
次回も少しではございますが鎌倉街道の続きです。
この日は我ながらよく歩きました
スマホを見るとなんと10km
運動と趣味の両方をこなすことができてお得感満載であります。
新しい発見を求めて「何か」を探す歴史散策は本当に楽しいものです。ではまた次回
*小和田先生と歩く戦国の旅、月山冨田城、松江城、総社、備中高松城へ明日から行って参ります。
もしこのブログをご覧の方でご参加の方がみえましたらお声掛け下さいネ