こんにちは!
今日は岐阜県多治見市の永保寺をご紹介します。
中央道を多治見インターで降りて「永保寺」を登録しナビに従って走るとインターから10分程で到着します。
広い無料駐車場もあって平日はこの時期でも楽々駐車できます。
駐車場に停めて境内まで3分程歩きますが途中JR中央線の踏切を渡ります。ちょうど特急「しなの」が通過です。昔の振り子電車ですね。現在は揺れがだいぶマシになったようで。
まず目にとびこんでくるのがやはり紅葉です。
近くにいたおじさんが大きな声で、
「香嵐渓よりもこっちのがええがやー」
どっちも素晴らしいです。
境内への坂を下る途中にいつ頃のものかわかりませんが石垣が。
新しいものではないように見えますが。雰囲気があって好きです。
樹齢700年のイチョウです。
この辺りでは一番長生きだそうです。
入りきらなかったので遠方より。デカいです。雷が心配ですが、「天命」ならば致し方なし・・・というところでしょうか。
いよいよドキドキしながら国宝へ。
永保寺は臨済宗南禅寺派の寺院になります。
国宝の「観音堂」東面です。まず正面を拝んでからと思っていましたがガマンできませんでした。板壁が渋いです。
正面です。檜皮葺き屋根の反りがたまりません。
周囲は柵がしてあり近寄ることはできませんが離れてみても圧倒的な存在感です。
夢窓疎石が1315年に建立したといわれ、永保寺伽藍の中で最も重要な仏殿であります。軒反屋根などの外観は禅宗様式、床の板間(禅宗建築は土間)や弓欄間などの細部は和様建築という少し変わった造りをしています。
一般的な軒は垂木と言って角材が何本か通っていますがこちらは板が貼られた板軒貼となっています。
今時の洋風建築みたいで驚きです。
観音堂の上部には六角堂があります。内部を見ることはできませんが千体地蔵が祀られていてお地蔵さんを借りて願掛けをし、願いが叶うと新しいお地蔵さんを返すのだそうです。
庭園を散策してみると勅使門跡の石碑がありました。具体的には何処にあったのかわかりませんが都から天皇の遣いが来られたのでしょう。この位置が門だとすると、今と違って北からではなく東側を経由して南から入ったものと思われます。
上記、勅使門付近の土塀です。
瓦と漆喰を重ね合わせて耐火造りになっています。
北側の駐車場は風があって寒かったのですが坂を下り境内にいると、北側斜面と、木々に囲まれていることもあってか風が少なく過ごしやすかったです。
こういう立地、選地も素晴らしいと思います。
境内の南側に土岐川が流れていて紅葉とのコラボが風流です。愛知県に入ると庄内川となります。
あまりに綺麗だったので。
地面はもみじの絨毯です。
北朝の初代天皇です。早く世の中が平和になることを願っていたことでしょう。ここで超簡単にお寺の歴史を。
臨済宗の僧侶、夢窓疎石と元翁本元が土岐光定の33回忌でこの地を訪れ、庵に帰る途中で道に迷い白馬に乗った女性に道を聞いたところ教えてもらえず、観音様になって消えたという伝説からこの観音様を観音堂にお祀りしたことが始まりだそうです。
何処から見ても美しい建物です。さすが国宝。
先人達が700年間、維持・管理してこられたことに感謝です。
そして、な、なんと、こちらも国宝の開山堂です。創建は足利尊氏で、開山の元翁本元をお祀りしてあります。同じ敷地内で国宝建築物が二棟あるのは珍しいのではないでしょうか。
因みに、前出の夢窓疎石(国師)は甲斐の恵林寺、嵯峨野の天龍寺も創建しています。足利尊氏と親交が深かったといわれています。
こちらは鐘楼です。鐘は昭和に新しくされておりますので現役です。
永保寺本堂です。
玄関に虎がいました。
こちらは東の黒門です。特に歴史や由緒に関しては書かれていませんでしたが古いものと思われます。ここがお寺の正門のような気がします。
結構な断面欠損があります。瓦がのっているので地震がきたら倒れそうで心配です。
新しいものと思われますが変わった灯篭でしたので撮りました。
美濃焼でしょうかね。
向こう側に賽銭箱がありますが、お寺はお金を捨てる修行の場でもありますので私も修行の一環としてお金を見ずに指先に神経を集中させて・・・、500円だけはつかまないように・・・Mr.煩悩です。
ここまでありがとうございました。
ここは穴場ですね。庭園が素晴らしく美しくて(桜の時期も綺麗だそうですよ)人も少なく(平日ということもありますが)、国宝が2棟も見れるなんて!
他にも何軒か寺院があるので春先には枝垂れ桜見物に行きたいと思います。
*先日、中日新聞に気になる記事が。
30億円もかけて中途半端な復元なら、という気がしないでもないです。トヨタ関連でお金がある自治体かとは思いますが、近隣の方と地元の商工会、城郭ファンの意見を多く取り入れて頂きたいものです。
ではまた次回。