こんにちは。
人肌恋しい秋の夜長いかがお過ごしでしょうか。
でもまだちょっと暑いですネ。紅葉はまだまだといった感じです。
さて今回は三重県鈴鹿市の神戸城(かんべ)城址をご紹介します。
場所は鈴鹿市の街中にあり、一部公園になっていて駐車場もあるので車で横付けできます。暑い時はこういうのがいいです。
堀跡も残ります。
野面積が美しいこのお城、元々この地を治めていた神戸氏の拠点で信長に攻められ降伏、信長の三男、信孝が養子として入り安土城に似た5重6階の天守を建てたそうです。
鏡石もありますぞ。
一部は公園、一部は高校の敷地になっていますが土塁も残っていました。天守閣は桑名城へ移築されて神戸櫓として機能し、本多忠統が入封してからは天守閣を持たない政庁として明治維新まで機能していたようです。
ここにも土塁。
信孝時代の石垣が残っているのは貴重ですね。非常に嬉しくなります。
それほど高い石垣ではありませんが凛とした美しさがあります。
高いところは苦手ですがすぐに登りたくなります。
野面の角には絶妙なパワーバランスが働いて今でも崩れずに残っているのですね。
場所は変わってこちらは三重県四日市市の顕正寺という真宗高田派のお寺。明治に移築されたこの門は神戸城の大手門だったとのこと。搦手門やその他の仕切門が残っているのはよくありますが大手門が移築されて残っているのは感動です。美しい高麗門ですね。
丸瓦には本多立葵紋です。
三重県というのは斎宮や伊勢神宮、鈴鹿関があったことからも古くから重要な拠点、要衝として栄えていたようです。また信長公は伊勢湾岸の安寧を図っていたことから早くに周辺の水軍を配下に置いて三重の地には身内の信雄、信孝、信包を配置しました。江戸時代には天領を経て本多氏が入ったことから伊勢、尾張,三河を結ぶ中継地点だったのかもしれません。
江戸中期のものだそうで大手門だったことから高さがあるのが特徴です。そして重厚です。
最後までありがとうございます。
次回は長野の善光寺です。