脱藩の道のりの距離を測ってみる | 歴史の舞台に立つ!!

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歴史の舞台を時系列にてわかりやすく紹介していきます。

脱藩の道のりの距離を測ってみたいと思います。

 
龍馬の道のりを振り返るに
3月24日土佐脱藩(和霊神社出発)
3月25日梼原村の那須俊平・信吾父子邸宿泊
3月26日那須俊平・信吾父子の案内で宮野々関突破、韮ヶ峠越え
3月27日泉ヶ峠を経由、亀の甲着。亀の甲にて道案内の那須俊平と別れ舟で長浜入り&宿泊。
3月28日長浜(伊予国)から船で三田尻にむかう
3月29日三田尻(長州国)到着
4月1日下関・白石正一郎邸着
が通説といわれています。
 
距離計測はJXTGのドライブナビを使いましたので誤差があることをご了承ください。
人間の歩行速度は平地での時速4キロ。
龍馬は山道ばかりの歩行です。
龍馬がいかに大変な思いで脱藩したか推測してみます。
 
【3月24日~3月25日】
3月24日脱藩して3月25日梼原村の那須俊平・信吾父子邸宿泊。
龍馬の生家(現・うわまち病院)から和霊神社までが3.6キロ。
和霊神社から佐川の斗賀野経由朽木峠越え、梼原村の那須俊平・信吾父子邸までが85.79キロ。
 
【3月26日】
梼原村の那須俊平・信吾父子邸から宮野々関まで6キロ。
宮野々関から韮ヶ峠まで14.28キロ。
韮ヶ峠から泉ヶ峠まで46.56キロ。
計66.84キロ。
 
【3月27日】
泉ヶ峠から亀の甲まで12.57キロ。
ここで道案内の那須俊平と別れ舟で長浜に向かいます。
那須俊平の立場に立つと道案内といっても山道79.41キロの道案内。
帰らないといけないので158.82キロ走破不可欠。
坂本龍馬は亀の甲から長浜まで24.29キロの船旅。
 
【3月28日~3月29日】
長浜から三田尻まで100キロの船旅。
 
【3月29日~4月1日】
三田尻から下関・白石正一郎邸まで95.1キロ。
 
四国内(168.8キロ歩行・24.29キロ船旅)
四国から長州(100キロの船旅)
三田尻から長州(95.1キロ歩行)
263.9キロ歩行+124.29キロ船旅が龍馬の脱藩だったわけです。
 
 
※坂本龍馬は、吉村寅太郎のいる白石正一郎邸を目指しての脱藩でした。
こんなに苦労してたどり着いたのに、吉村寅太郎は長州にさえいなかったんですよね。