稲生の戦い【概要】萱津の戦いで勝利した織田信長は3年後織田信友を滅ぼし織田本家の座を手中にします。織田家重臣でかつ信長の養育係であった平手政秀の自刃をきっかけに信長では織田家をまとめられないと判断した柴田勝家は林秀貞と共に織田信行を担ぎ、織田信長と稲生の地で激突します。1556年8月のことです。信長本陣にまで攻め込みあわやという場面まで持ち込みますが奮闘むなしく信長に敗れ以降信長に仕えることになります。【住所】愛知県名古屋市西区名塚町一丁目