井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 保守派でも革新派でも誰もが戦争は反対です。

 

 私たちは日本と日本国民を戦争の惨禍に巻き込まれないように憲法9条を変えて、軍備をきちんと整えようと主張しています。

 

 でも、左巻きの人たちは憲法9条を死守して、憲法9条を守るためなら死んでもいいという気持ちで憲法改正を反対し、軍備の拡充にも反対しているのだと思います。

 

 彼らは日本が戦争を仕掛けなければ戦争は起きないと思っているのでしょうが、私はCHINAや北朝鮮やロシアが日本に対し、挑発行為を繰り返し、領土・領海を侵し国民を不当に拉致しているのだから、断固たる措置をとるべきだと思っているので、絶対に殴り掛かりませんなんて言わずに、いつでのその用意はあるよといえるようにするべきだと思っております。

 

 という話を左巻きの人たちとするとすぐに「あなたは好戦的な人で、軍国主義者なんですか」と言われて話が前に進まないことが多いのですが、私も戦争は嫌ですし、自分の子や孫を戦争に巻き込みたくありません。

 

 でも、国家の主権を侵害されていて黙っていることはできませんし、多くの同胞が自由と尊厳を奪われ、家族から引き離されて他国に拉致されている問題は見過ごすほどお人好しではありません。

 

 尖閣諸島付近の日本の領海でもCHINAの軍艦がいるためにおびえて日本国民が漁もできないというのを黙って見過ごすこともできません。

 

 CHINAや北朝鮮やロシアやそして韓国にも舐められ切っています。

 

 次のようなお話があります;

 

 寓話「ラクダと主人」
「寒い夜にテントの中で休む主人に、ラクダが『鼻先だけでも入れてほしい』と頼み、最終的に体全体をねじ込んで主人を外に追い出してしまう」という有名な教訓話です。この話は、少しの譲歩が最終的にすべてを奪われる危険性(段階的服従)への戒めとして知られています。

 

 いかがですか? これが今の日本の現状です。

 

 左巻きたちの論理であれば、「CHINAや北朝鮮の人たちはそんな人ではないですよ~」というのでしょうが、私は全く信じていません。

 

 日本国憲法の前文にこんな文章があります;

 

 前略~日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。~後略

 

 どこに平和を愛する諸国民がいるのでしょう?そしてその公正と信義に信頼することなどできるでしょうか?

 

 まあ、この公正と信義にという「に」という助詞の使い方はおかしいところですがね。

 

 それでも周辺諸国とうわべだけでも仲良くして偽りのヘイワを模索することも言論の自由や思想信条の自由が認められた日本ですから否定はできません。

 

 でも、日本国の法律くらいはちゃんと守って活動してください。

 

 辺野古抗議船転覆事件で、「不屈」と「平和丸」の船長たちの業務上過失致死罪に抵触するような行為は決して許されませんし、船の登録ももちろんその事故による保証するための保険もなかったと聞いています。

 

 亡くなった金井牧師は日本基督教団沖縄教区佐敷教会の牧師さんでした。もう一人の武石知華さんが亡くなった船の船長である諸喜田タケルは日本共産党の候補者でもあり、地上での反基地活動もやっている人ですね。

 

 共産党の田村委員長が謝罪をしましたが、いまだに諸喜田タケルの名前と顔はテレビでは出てきません。

 

 オール沖縄と言っても名ばかりの左巻きの団体の人たちは自分たちの仲間を守るために二か月間放置してきましたが、心あるジャーナリストやブロガーがしつこくこの件を追求してきたために、やっとマスコミも産経新聞だけだったのに、ABCテレビやテレ朝でもやっと報じられるようになってきました。

 

 亡くなった金井牧師が刑事告訴を受けていますが、いまだに諸喜田タケルはその名前も顔も登場しません。

 

 田村共産党委員長が謝罪したのも玉城デニー氏の三選が危うくなってきたためです。

 

 もしオール沖縄から支援を受けている玉城デニー氏が三選を果たすようなことがあれば、沖縄県は日本全国から見放されることでしょう。こういう杜撰なヘイワ学習を認めているような沖縄県に子供たちを送り込みたくありません。

 

 沖縄戦はとても大変な戦いでしたが、日本全国から沖縄県を守るために陸海軍将兵が駆けつけています。そして多くの人たちがそこで戦死をしています。沖縄県民の多くも家族や家を失い大変な思いをされたと思いますが、当時は日本国民も愛する夫や子供を沖縄戦で失っているのです。

 

 軍官民が一体となって侵略者の米軍を撃退しようと戦ったのです。

 

 その事実を教えないで、日本軍の悪口や日本の悪口を子供たちに教えることがなんのヘイワ学習なのでしょうか。

 

 

 昨日ネットで偶然に見つけてみた映画がとても興味深いものがありました。

 

 

 

 
 The last full measure ラスト・フル・メジャーという映画ですが、30年前のベトナム戦争時に陸軍兵士をすくために空軍のヘリコプターの乗員が自らの意思で地獄の戦場に降り立ち、負傷した仲間を地上からヘリに上げるという行為を繰り返し、多くの将兵を助けたのですが、銃弾を5発体に受けて戦死します。
 
 彼が名誉勲章を授与されなかったので、助けられた兵士たちが30年にわたって勲章を与えるように運動し、そしてついにそれを果たすという内容です。
 
 その時にその調査を任されたのが国防総省勤務の若手のエリートで、初めはいやいやながら、昔の戦争のことを今更調べてもと投げやりでしたが、元兵士の証言を聞いていくうちに何が正しい事なのかに目覚めていくのです。
 
 たかが勲章でと若い役人は思っていたのですが、元兵士たちの証言を聞くにつれそれがどんな意味を持つかがわかってきたのです。
 
 ベトナム戦争がアメリカの黒歴史であり、日本における大東亜戦争と同じだとすれば、そこに真っ向から取り組む姿勢の映画はなかなかできないことだったと思います。
 
 俳優陣も往年の名優たちが出演しており、サミュエル・ジャクソンやエド・ハリスやクリストファー・プラマーなどが惜しげもなく出ているのです。
 
 ネットで観れますので是非見てみてください。なぜ私たちが英霊に感謝を意を捧げなければならないのかよくわかると思います。
 
 話を元に戻すと、左巻きの人たちは自分たちの主張ばかりで法を無視し、暴力や無謀な行動によって抗議をしています。いや抗議というよりもただ邪魔・妨害をしているだけですね。
 
 そして数年前には死者を出すような事件も起きました。ところがその妨害して道路に飛び出した人を助けようとして亡くなった警備員さんではなく、飛び出してけがをした人があたかも被害者のように主張しているのを聞いてもはや馬鹿に付ける薬はないとあきらめています。
 
 皆さんもそうでしょう?
 
 いつかは話せばわかると思っていましたが、この人たちは死んでも治らないと思います。
 
 ならば、私たちは日本国民として毅然とした態度で、法を犯した人を取り締まり、罰するべきだと思うようになりました。
 
 沖縄戦では多くの日本国民が亡くなりました。もちろん沖縄県民の被害が一番大きかったのは事実です。でも、摩文仁の丘に行けば全国から救援に駆け付けた人たちの墓碑銘を刻んであります。
 
 沖縄県を決して見捨てたことなどなかったのです。
 
 だからもう沖縄県の抗議活動に関しては一切に同情は捨てましょう。
 
 厳格に法に照らして処理すべきです。
 
 でも、沖縄県警のトップは沖縄県知事です。そう、玉城デニー氏を更迭しないと沖縄県の明日はないのです。
 
 心ある沖縄県民の有権者の皆さん、よろしくお願いします。

 

 

 東大寺の後は、すぐ横の奈良国立博物館にたくさんの仏像を見てきました。

 

 よく観ると仏像も表情がいろいろ違うのです。ただ、時代によってその特徴がちょっとだけ違うことがわかります。

 

 飛鳥時代は、仏教が入ってきたばかりで粗削りで、大陸の影響を大いに受けている様子が見られます。

 

 奈良時代に入ると大陸の影響がだいぶ薄らいできて、日本独特の仏様に変わっていく最中だと思います。

 

 平安時代になると菅原道真公の遣唐使廃止による国風文化が醸成されたため、温和な表情の仏様が数多くみられます。

 

 そして鎌倉時代になると武家の文化色が強くなるせいか、凛々しくたくましい仏様が多くなるような傾向があるのではないでしょうか。

 

 今回の旅の二番目の目的が、数ある阿修羅像の最高傑作と言われる興福寺にある阿修羅像を見ることでした。

 

 阿修羅は八部衆の一人で、戦いの神様とされています。

 

 しかし興福寺の阿修羅像はその表情は少年のような表情であり、そこから戦いの神様を思わせるものは何もありません。しかし、その表情の奥には秘めた怒りと悔しさがわずかながらにじみ出ているように見えます。

 

 それは次ようなお話があるのです;

 

 阿修羅にはそれは美しい娘がいました。それを上司の帝釈天が見初め(みそめ)、嫁に欲しいと申し出ます。

 

 上司の帝釈天に嫁ぐことは栄誉なことですから、喜んでとその話を受けました。

 

 しかし、ある日のこと帝釈天が街で阿修羅の娘を見かけると理性が吹っ飛び、手籠めにしてしまったのです。

 

 大切な娘を婚姻前に傷物にされたので、阿修羅は激怒し、帝釈天に戦いを挑みます。

 

 しかし帝釈天は仏法や人々を守護する武勇・軍神の神様です。何度やっても阿修羅は敗れるのです。

 

 敗れても敗れても大切な娘のために何度も何度も戦いを挑みます。その様を著した言葉が「阿修羅のごとく」です。

 

 >>>引用開始

 

 「阿修羅のごとく(あしゅらのごとく)」とは、仏教の「阿修羅(戦いや怒りを司る鬼神)」のように、激しい怒りや嫉妬、闘争心をむき出しにして激しく振る舞う様子を指す言葉です。

 

 >>>引用終わり

 

 しかし、阿修羅が仏様の教えに帰依し、相手を許し、憤怒の表情から穏やかな表情に変わっていった後のお顔を描いているのを興福寺の阿修羅像は見事に表現しているのです。

 

 以前、もう30年ほど前に見た時は、この意味を知りませんでした。

 

 だから阿修羅って戦いの神様なのに、なぜ少年のような顔をしているのか不思議でなりませんでした。

 

 しかし、この話を聞いてから写真を見るとこれが仏様に救われた表情なのか、これが仏教に帰依したお姿なのかと納得はしてみたものの、やはり実物をこの目で拝観したいと永年思っていたのでした。

 

 実際拝観させていただくと、神々しくもあり、どことなく物悲しくもあり、そして安らぎの表情も見て取れる見事な阿修羅像でした。

 

 この像は、見る人の心の状態によってその見方が変化するものだろうと容易に想像ができます。

 

 もしこの阿修羅像のお顔が穏やかに見えた人は、きっと何の迷いもなく、穏やかな境地に至っているのではないでしょうか。

 

 そしてこのお顔が悲しく見えた人は、きっと心の中にとても悲しいことがあった傷を十分に癒せていないのではないでしょうか。

 

 いろんな仏様と対面させていただいても、作者がどんな思いでこの仏像を作ったのかを想像しながら拝観させていただくとより一層深い世界に入っていけると思います。

 

 だから、仏像が並んでいてもすぅーと素通りしていきます。そして自分の心に響く像の前に来てしばらくお話を心でしていくとまた違った趣がありますよ。

 

 今回私はこの阿修羅像が見たくて興福寺に来たので、ほかの仏様は目に入りませんでした。

 

 でも、この阿修羅像様は、「やっと来たか、待ってたぞ。お前も人を許すことが前に比べればできるようになったな」と言われたような気がしたのですよ。

 

 興福寺の五重塔は大規模修復のため見ることはできませんでしたが、そんなの関係ありませんでした。

 

 この阿修羅像を見るためだけに奈良に行ってもおつりがくるような至福の時間を過ごしました。

 

 今の私の表情が以前に比べて柔和になっていると言ってくれる古い友人が数多くいます。

 

 私も以前は阿修羅のごとくの表情をしていたのだと思います。12月で70歳、その年月をかけてちょっとは興福寺の阿修羅像に近づいたのかもしれません。

 

 

 日本共産党の田村委員長が沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し平和学習中の同志社国際高(京都府)2年の女子生徒ら2人が死亡した事故を巡り17日、那覇市内で開かれた演説会で「修学旅行の高校生を船に乗せたこと自体が重大な誤りであり、ヘリ基地反対協議会の構成団体である日本共産党として、私からも心からおわびを申し上げる」と謝罪しました。

 

 えっ? いつの事故?

 

 そうです、二か月前の事故ですね。

 

 あれだけ記者会見ではぐらかしてきたのですが、二か月たってやっと謝罪をしました。

 

 それも、「ヘリ基地反対協議会の構成団体である日本共産党として」お詫びするそうです。

 

 あのヘリ基地反対協議会の主要な構成団体が日本共産党だということは誰もが知っているつまり周知の事実でした。それにも関わらず、お詫びまでに二か月もかかるということは日本共産党のメンタルは、悪いことをしても「ごめんなさい」の一言も言えない、言わない、言いたくないというものなのでしょうか。

 

 子供のころ親から悪いことをしたらすぐに「ごめんなさい」と謝りなさいと躾けられなかったのでしょうか?

 

 共産党の人たちはそんなしつけを受けていないのでしょうか。

 

 私は人込みで人に肩が触れたり、進路を妨害しそうになったときは、「すみません」とすぐに言うようにしています。きっと皆さんもそうですよね。

 

 先日上京した時もあまりの人の多さに「すみません」を連発していました。

 

 でも、日本共産党の人たちは、自分たちの配下の団体が女子高生を死に追いやっているにもかかわらず、遺族に対してお悔やみも言わずに無視してきているのです。

 

 私はこの精神状態はとうてい日本人のものとは思えないのですが、皆さんはどうお考えですか?

 

 そして東大の五月祭で参政党の神谷代表の講演会を潰すために、爆破予告までして全プログラムを注視させたのも、そのど真ん中に日本共産党がいるようです。

 

 私も学生時代大学祭の実行委員をしたことがあり、数か月前からその準備のためにステージを作っていました。多くの学生が来ていただいたお客様に満足してもらい、たくさんの物を買ってもらおうと一所懸命に準備をしてきたのです。

 

 それを一部の過激派のために、数か月間の努力を無に帰すことになったのです。

 

 二日目は開催されたと聞いてちょっと安心しましたが、準備をしてきた学生さんたち、そこに行って楽しもうとしていたお客さんがテロ行為によって楽しむ自由を奪われたのです。

 

 えっ? 神谷宗弊代表などを呼ぶからいけない?

 

 いつから日本には言論の自由が無くなったのでしょうか?その人の演説を聞きたくなかったら聞きに行かなければいいだけのこと。

 

 聞かない自由もあるし、話す自由もあるし、選択の自由というものがあるのが民主主義国家ですよね。

 

 あっ、そうか! 共産主義は個人の自由を大幅に制限する思想でしたね。

 

 つまり、日本共産党を支持をすれば、自分たちの自由が大幅に奪われることになるのを証明していることになりますね。

 

 ヘリ基地反対協議会の構成団体だからと言って謝罪をした日本共産党の田村委員長ですが、しゃべったところは、身内の演説会であり、公の場で遺族の方や事故に遭った生徒さん及びそのご家族に対してお詫びをしたのではありません。

 

 ただ、三期目を目指す玉城デニー氏の再選が危うくなってきたから言ったとしか思えません。

 

 玉城デニー氏が次も沖縄県知事に当選するようなことがあれば、沖縄戦で沖縄県を守るために大勢の日本軍将兵が沖縄県に出征し、尊い命を捧げたことに対し、申し開きができません。

 

 「いつまで俺たちは沖縄県で悪者にならなければならないのか!」という叫びが地の底から湧いてくるように思えませんか?

 

 亡くなった日本軍将兵の方々にもご家族がいて多くの人が嘆き悲しみました。うちの親戚にもいます。

 

 決して沖縄県を見捨てたことはないのです。

 

 そして沖縄県民も軍官民が一つとなって物量に勝る米軍と壮絶な戦いを強いられました。それは本当につらかったことだと思いますが、日本各地からも多くの将兵が沖縄県へ出撃し、白木の箱には石ころや幸運な場合には遺髪が入っていたそうです。

 

 そうやって同じ痛みを分かち合ってきたのです。

 

 米軍の基地も日本本土にもあります。米軍と自衛隊の共同運用の横田基地が関東にありますが、いまでも首都東京上空を多くを米軍の飛行機が我が物顔に飛んでいます。

 

 米軍を追い出し、日本軍だけで護るのが理想ですし、私はそれを目指しています。だからこそ憲法9条を改正し、自衛隊を国軍として日本の防衛の任に正式についてもらいたいと思っております。

 

 そのためには、憲法を変えなければなりません。

 

 そのためには、憲法改正に賛成をする国会議員を増やさなければなりません。

 

 そのためには、国民がそれを理解できるように丁寧な説明がなければなりません。

 

 めんどくさいですが、民主主義国家というものはそういうものなのです。

 

 でも、共産主義者は自分たちは何をやっても正しいがそれ以外は暴力でもなんでも手段を選ばずに潰していいと思っているのです。

 

 幸いに高市早苗総理大臣という日本国のための総理が頑張っておられます。

 

 枝葉末節の異論は気にせずに高市総理の方向性をしっかりと見据えて応援していきましょう。

 

 そして次の選挙では地方議員も含めて日本共産党の議席を大幅に減らさねばならないし、玉城デニー氏は落選させなければ、沖縄県の未来はありません。

 

 警察もしっかりと取り締まりをしてください。選挙の時のしばき隊のような妨害者がいては候補者も落ち着いて自分の考えを言うこともできないし、有権者も落ち着いて聞くこともできませんから。

 

 それは政治家の判断だと思います。しっかりと法に基づいて表現の自由、主張する権利、聞く権利、議論する権利を守ってもらいたいと思います。

 

 ただ、人がお話をしている時は黙って聞くというのも当たり前のことですよね。

 

 

 

 

 妻と二人で最近旅行に行くことに嵌っています。

 

 私は仲間を募ってしょっちゅう台湾やベトナムそして今月末からはマレーシアと旅行に行っていますが、妻がふと「いつも自分ばっかり・・・」とささやかれて、背筋がふと寒くなりました。

 

 そこで、去年から伊勢神宮を手始めに、今年は鹿児島、そして今回の奈良と過去10年間で行った回数と同じになりました。

 

 まあ、子供が小さいときはよく旅行に入っていたのですが、子供が巣立ち夫婦二人になるとなかなかおっくうになるものです。

 

 ただ、妻も歴史や神社やお寺が好きなので、私も浅からぬ知識と興味を持っているので、行くことにしたのです。

 

 普通は30人以上の団体を引率していくので、参加者の方々の喜ぶ姿を見ることが私の楽しみなのですが、個人旅行はじっくりと興味を持つものに時間をさける楽しみがあるのでいいですね。

 

 今回は新幹線とホテルのパックを博多井上組の旅行部部長のティアイプロジェクトの石川英子さんにお願いし、レンタカーも含めて予約してもらいました。

 

 どうしても土地勘のないところに行く際は、旅行代理店、それも大手ではなく、こじんまりしたところの方が小回りが利くのでお勧めです。今回は表では書けない裏技でだいぶ得をしました。 有料メルマガで書いておきますね。

 

 9時発の新幹線で博多駅から新大阪駅まで約2時間半。長いようで短い時間です。というのもいつの間にか気を失っていたので、時がワープしていました。

 

 新大阪駅に着き、駅ビルを下へ降りて周りを見渡すとトヨタレンタカーのお店があり、そこでカローラツーリング・ハイブリッドを借りました。今乗っているプリウスαと同じサイズの車なので、運転もしやすかったですね。

 

 そこから一路奈良の東大寺へ。

 

 でも思い浮かべていた道筋とは違うところへナビが連れて行ったので、思ったよりも時間がかかりましたが、無事東大寺へ到着しました。

 

 東大寺は超人気のスポットなので、人がうじゃうじゃいましたが、一本通りを入ると表のざわめきは一切なく、古都の風情を十分に感じられました。これも不慣れなので、駐車場をちょっと離れたところに止めたのが功を奏し、人ごみの喧騒から隔離された本当に静かな佇まいを満喫できました。

 

 古民家を改造したような喫茶店に入りチーズケーキと紅茶で一息、お客の半分が外国人それも西洋人、英語とドイツ語が聞こえていました。奈良で外国語? なかなかいい取り合わせでしたよ。

 

 東大寺に行ったのはもう30年ぶりくらいでしょうか。今は3人の子持ちの長男がまだ小学生だったと記憶しています。

 

 実はこの東大寺の大仏さんの物語は私の講演のネタでもあります。しかしネタにしてしゃべっている割には行っていなかったので、まずはここへと行ったのです。

 

 修学旅行生も大勢いるし、外国人も大勢いて大変な賑わいでしたが、なんせ広大な敷地なのであまり気にしませんでした。

 

 大仏殿の中に入るとその荘厳さに皆気後れしているのでしょうか、静かでした。

 

 私が見たかったものは、台座のハスのところと大仏様の首のところでした。

 

 ここで分かった人は、相当な歴史通です。自慢できますよ。

 

 そう、台座のハスのところは、奈良時代創建当時の物、そして胴体は鎌倉時代の物、そして首は江戸時代に補修されたものなのです。

 

 だからよく見るとそこに線と色の違いがあるのです。

 

 

 私の撮った写真ではあまり鮮明ではなかったので、奈良市観光協会の写真を使わせてもらいますが、台座のハスのところ、そして首のあたりに線が見えるでしょうか?

 

 天平17年(745年)に聖武天皇が発願をされ制作が開始されました。そして天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が執り行われました。

 

 治承4年(1180年)に平家の戦で焼失しました。その際に61歳の重源上人が焼けたばかりの大仏様を見て、「我がこれまでの人生、大仏再建のための修行也」と言って、資金集めに貴下の僧を全国に散らばせます。

 

 そして文治元年(1185年)に大仏様をそして賢久6年(1195年)には大仏殿を再建するのです。

 

 その時の檄文が「勧進帳」です。

 

 ここでピンと来た人もなかなかの歴史通です。というよりも粋人ですね。

 

 そう、義経と弁慶の安宅関でのやり取りを描いた「歌舞伎 勧進帳」です。

 

 頼朝との仲たがいで逃亡中の義経主従は安宅関を通過する時に、弁慶の従者として扮装していましたが、代官の富樫に見破られそうになります。そこで弁慶が巻物を取り出し、大仏再建のための行脚であるということをつげます。

 

 それでも信じない代官の前で白紙の巻物を見ながら朗々と大仏再建のための趣意書を読む真似をするのです。

 

 それでもまだ信じない代官に対し、心を鬼にして弁慶が義経を錫杖でぶつのです。

 

 そこまでして初めて、代官の富樫は見破っているのですが、弁慶の主人を思う気持ちに免じてそこを通すのです。

 

 そして彼はその後、見事切腹するのです。

 

 それは、私心としての義で義経主従を通すのですが、公人としての任務は果たさなかったので、その責任を取って自刃するのです。

 

 これこそ公私混同をせずに自分の命を懸けて義を貫いた日本人の姿だと能の演目に加えられ、後に歌舞伎の超有名な演目となるのです。

 

 話が大幅にそれました。

 

 そういう話を聞かせながら、大仏様に手を合わせていたのでした。

 

 もう一回は永禄10年(1567年)には松永弾正により大仏殿が焼き払われ、首がいかにも取れそうになっていました。

 

 それから約100年後、江戸時代に入り、素行が悪すぎて寺に無理やり入れられた少年僧の公慶が見たものは、雨ざらしで無残な姿の大仏様でした。それを見て大仏再建を決意するのです。そしてそこから20年かけて修行し、仲間を募り、お金を集め貞享元年(1684年)に満を持して再建を開始します。

 

 そしてついに元禄5年(1692年)に大仏の修理を完成させ開眼供養をしました。

 

 しかしまだ大仏殿は完成していません。徳川綱吉の生母桂昌院の援助もあり、宝永6年(1709年)にやっと完成するのです。

 

 しかし公慶上人はその四年前に死去しており、大仏殿の完成を見ることはできませんでした。

 

 

 そしてその大仏殿と大仏様を私たちは今見ているのです。

 

 多くの人が熱い思いでこの大仏様を後世に紡いでいただいたおかげで、奈良の大仏として日本最大の座像として多くの人々を見守っておられるのです。

 

 子供のころに見た時の感想は「大きな大仏さんだな」程度でした。

 

 30代のころ家族を連れて行ったときの感想は「ほら、教科書に載っているだろう」と子供たちに見せたかったのです。そして意外に小さく見えました。子供ころの視点と大人になった時の視点が違うからでしょうね。

 

 そして60代に観た大仏様は、雄々しく荘厳で威厳に満ち、人々の苦しみを一手に引き受ける聖武天皇の思いが見事に表現されたものでした。

 

 そして新たな感動を得ることができたのです。

 

 子供のころの大仏様、子育て中のころの大仏様、そして壮年期の大仏様、同じ大仏様でも見る人の心によってこんなにも違うものかと感じることができたのです。

 

 妻に聞くと同じことを言っていました。前回は三人の子供がいて一番下はまだ小学校に入る前だったと思います。だから子育てで忙しく疲れていたために大仏様を拝観する余裕がなかったのです。

 

 でも今回二人だけでゆっくりと時間をかけて歩き、拝観させていただいた時間はとても貴重なものとなりました。

 

 まだまだ旅行は続きます。

 

 

 5月8日高市総理と面会する前に、ランチミーティングを行いました。

 

 メンバーは一緒に福岡から言った石原さん、塚田さんと原子炉工学の世界的権威で櫻井よしこさんの国家基本問題研究所の理事である奈良林直先生ともう一人は段ボールベッドの発明者のJバックスの水谷嘉浩社長の5人です。

 

 奈良林先生は東京科学大学ベンチャーの㈱GX ENERGYの創業者でもあり、日本核シェルター協会の顧問もされています。

 

 映画「フクシマフィフティーズ」の監修もされており、高市総理の発言に出てくるSMR(小型モジュール炉)の設計もされています。そしてベトナムとの提携も視野に入れて活動をされているのです。

 

 水谷嘉浩社長は、「イタリア式避難所」を全国自治体に整備して、災害関連死をなくそうと努力されている人です。

 

 日本は関東大震災のころから避難所は全く進歩がなく、阪神淡路大震災・東北大震災の時も体育館の冷たい床に毛布を敷いて寝かせ、何日も冷たいおにぎりやパンで被災者の方々は飢えを凌いでいました。

 

 そのため、せっかく地震や津波での助かった人たちが避難所の劣悪な環境で体調を崩し、命を落とすという災害関連死が役所の統計以上に多いことに胸を痛め、これは全国的に組織的な避難所がないのが問題だと研究を重ね、行き当たったのがイタリア式の避難所方式だったのです。

 

 イタリアも地震国で災害の多い国ですが、このイタリア式避難所のおかげで災害関連死が「0」という日本人にとっては驚愕の数字をたたき出しているのですが、日本の災害関連死が千を越えるというとイタリア人にとっては「せっかく災害を生き抜いたのに、その後に死ぬなんてなんてことだ」と驚愕されているのです。

 

 水谷さんの研究での災害発生時48時間以内にTKB(トイレ・キッチン・ベッド)を整備することにより、災害関連死が大幅に減らせるとの提案をされおり、大阪人らしくこれをTKB48と呼んでいるのです。これを総理にもお伝えしました。

 

 昨年、九州でもこのTKB48の設置実験が行われ、唐津市に保管されていると仮定した設備を伊万里市まで輸送し、設置するという実験に私も視察に行かせてもらいました。

 

 これはいま日本で行われている「被災地が被災地を助ける」のではなく、「被災地以外の自治体が被災地を助ける」という概念のもとに展開された移動実験なのです。今の日本の考え方は、「被災地が被災地を助ける」という原則のようなものがありますが、これは大規模災害が発災した場合には到底役に立つものではないのです。

 

 東北大震災の時も被災地にある自衛隊が被災地を救助しており、隊員の中には自分の家族のもとに駆け付けることもできずに他人の救助に当たっていた例がたくさんありました。

 

 能登半島沖地震では発災後緊急出動した消防団員の家がその後の地震で崩壊し、戻ってみると家族が全員亡くなっていたというような話もありましたね。

 

 このイタリア式避難所は1ユニットで250人の被災者と50人のボランティアスタッフにTKBを供給できるもので、価格は5億円です。それを南海トラフ地震の発災が予想される自治体付近に優先的に配備し、いざ大地震が起き、津波が起きたら速やかに資材を被災地に運び、避難所を設置して被災者の救援に当たるというものです。

 

 避難所の費用も様式も運営も平準化し、機能的に何が不足して何が必要かをすぐに政府に上げることができるのです。

 

 

 なぜこのようなことを延々と書いているのかというと、高市総理にお会いした時に話した内容の大部分がこの話だったからです。

 

 私たちは総理就任おめでとうを言おうと面会を申し込んでいたのですが、就任直後の海外出張や選挙や予算案審議など立て続けに重要案件が目白押しでなかなか時間がとってもらえませんでした。

 

 そして私たちと同じように高市総理誕生のために尽力された方々が大勢おられると思いますが、前回のブログで書いたように福岡から反撃ののろしを上げたので、それを総理も重要視していただいて、皆さんの代表として貴重な時間をいただいたのだと理解したためです。

 

 だから表敬だけでなく、具体的な政策進言をすべきだと思い、以前から親交のあった水谷さんの「イタリア式避難所」の紹介をしたのです。

 

 それはイタリアのメローニ首相との間も良好なので、この方式を取り入れることによりさらにメローニ首相との親交もさらに深まるのではないかという理由もありました。

 

 そして奈良林先生と合わせたのも、核シェルターを設置するにあたり、デュアルユース(二重利用)を考えおられるのを知っていたからです。それは核シェルターを全国に設置するにあたり、核攻撃だけを想定するのではなく、災害にも備えることができるようにしようと考えておられます。

 

 自民党のシェルター議連のトップは古屋圭司議員だし、そこには片山さつき財務大臣も以前からの推進派としていらっしゃるからです。

 

 皆さんもよくお分かりのように高市総理がいかに優れていようとも予算の裏付け、財務省の妨害を防ぐためには片山さつき財務大臣の存在は必要不可欠なのです。

 

 逆にこの二人がGOサインを出せば、迅速に物事が進むと思うのです。

 

 そういう提言をしてきました。総理の反応は有料メルマガに書かせていただきます。

 

 

 

 
 そうそう総理と面会のために官邸に行くと厳重な警備のもと室内に入ると官邸付きの記者が30人ほどいて、一斉に「今日はどういう話をされるのですか?」とか「どんな団体なのでしょうか?」と次々に来られるのです。
 
 私はどう答えていいのかわからないので、石原さんを指しながら「あの偉い人に聞いてください」と言って避けていました。エレベーターホールの裏から乗り込むまでしつこく聞かれましたが、エレベーターに乗り込むとそこまでしか行けないようで、静かに5階に上がり、吹き抜けの中庭を見ながら応接室に通されました。
 
 面会が終わり、またエレベーターで降りると待ち構えていたように記者の方々がくらいついてきました。結構若手の人が多いので、この人たちも記事にするのに大変だなと思い、「私たちは高市総理誕生の福岡の応援団を代表してきました。」というときれいな若い女性に記者から名刺交換をと言われたので、ついいつのも癖で交換するとその他の記者たちも次々名刺を出され、気の弱い私は皆と交換したために、名刺入れには10枚ほどの記者さんたちの名刺が残っていまいた。
 
 テレ朝、朝日新聞、毎日新聞、時事通信etc. 香ばしい会社の名刺も含まれていました。
 
 あんな記者から囲まれて質問攻めにあうのもなかなか体験できないものですね。
 
 面会時間は10分と言われていましたが、雑談も含め25分ほど比較的ゆっくり目にお話ししていただきました。
 
 多くの皆さんの心配は、総理の健康面だと思いますが、気力は十分に漲っておられました。そして何よりオーラが以前に比べて数倍大きくなっておられるのが印象的でしたよ。
 
 左巻きの人には嫌なことでしょうが、本人は10年は続けるつもりのようでした。