上の表は高等学校日本史教科書に載せられている「金貨成分比の推移」についての図表です。

 

 

 

 

1600(慶長5)年に鋳造された慶長小判は、小判に含まれるの含有量が多く、大変良質な貨幣でした。

 

 

 

 

しかし、1695(元禄8)年に鋳造された元禄小判は、慶長小判と重さこそ同じですがの含有量が低く、大変に質の悪い貨幣が発行されたことになります。

 

 

 

 

第5代将軍徳川綱吉の時代には、佐渡金山などに代表される幕府直轄の金山銀山からの産出量が減少したことで、鉱山収入が大幅に減り、幕府財政は収入源となってしまいます。

 

 

 

 

そこで当時勘定吟味役という役職に就いていた荻原重秀は、収入増の方策として貨幣の改鋳を上申し、第5代将軍の徳川綱吉はこれを採用しています。

 

 

 

 

この改鋳で幕府はの含有率を減らし、質の劣った小判を大量に発行します。

 

 

 

 

慶長小判に比べて使用されるの量が減ったわけですが、使用されなくなった、いわゆる余ったはどうなるのでしょうか

 

 

 

 

何と!!

 

 

 

 

 

幕府が自分のものとしてしまうのです😲

 

 

 

 

慶長小判元禄小判は、の含有量の相違から同然同じ価値ではありえないのですが、幕府は同じ1両として流通させます。

 

 

 

 

私は授業で、かなり言い過ぎなのですが、この改鋳は国家的詐欺と説明しています😅

 

 

 

 

この改鋳は、貨幣価値の下落と物価の騰貴(とうき)を引き起こし、庶民の生活を著しく圧迫することになりました。

 

 

 

 

ここで是非、覚えておいて欲しいのが「貨幣改鋳は物価変動という効果をもたらす」ということです。

 

 

 

 

では、元文小判を鋳造させた第8代将軍徳川吉宗の時代を見てみたいと思います。

 

 

 

 

徳川吉宗はその治世において、2回の貨幣改鋳を実施しています。

 

 

 

 

享保小判元文小判をそれぞれ鋳造させているのです。

 

 

 

 

享保小判は、徳川吉宗の前代に鋳造された正徳小判同様、質の高い小判です。

 

 

 

 

小判は将軍の命によって鋳造されるものですから、貨幣発行は将軍の権威と深く関わっています

 

 

 

 

の含有量が多い貨幣を発行することができるということは、将軍の権威の高さを物語っているというわけです。

 

 

 

 

江戸幕府初代将軍の徳川家康への復古をスローガンに掲げて幕政改革に努めた徳川吉宗は、将軍権威の高揚に努めた将軍でした。

 

 

 

 

第6代将軍徳川家宣第7代将軍徳川家継が短命・幼児であったために、将軍権威が著しく低下したあとを受けて将軍に就任した徳川吉宗は、前代に発行された正徳小判同様の極めて質の高い小判を発行しました。

 

 

 

 

小判の品質を変更することで経済の混乱を招かないよう前代の貨幣と同様の品質を維持するとともに、将軍権威の高揚をはかったのです。

 

 

 

 

しかし!!

 

 

 

 

 

 

将軍権威の維持・高揚をはかった徳川吉宗が、正徳小判の品位を半分に減らした元文小判を鋳造・発行したのです😲

 

 

 

 

なぜでしょうか

 

 

 

 

この謎を解くには、当時の経済に目をむける必要があります。

 

 

 

 

当時は江戸幕府による積極的な新田開発奨励政策によって、幕府領の石高が増加し、多くの米が収穫されました。

 

 

 

 

しかし、米の増収は米価の下落を引き起こし、米を給料として支給されている武士の財政を圧迫することになりました。

 

 

 

 

武士は生活必需品を購入するために、支給された米を現金化しなければなりませんでした。

 

 

 

 

米の収穫量が増大したことで米価が下落し、そのせいで武士の実質賃金が低下することになりました。

 

 

 

 

幕臣である旗本御家人らの財政を救わなければならない立場にある将軍は、何としても米価を調整しなければなりませんでした。

 

 

 

 

そこで幕府は考えるのです。

 

 

 

 

貨幣改鋳は物価変動という効果をもたらす

 

 

 

 

正徳小判享保小判という高品質の貨幣発行は、物価の下落つまり経済をデフレーションへと誘導していき、景気を後退させていきます。

 

 

 

 

この状況を克服するため、質の悪い貨幣を鋳造・発行することで物価の上昇つまりインフレーションへと誘導していったのです。

 

 

 

 

この貨幣改鋳によって米価は上昇し、景気は持ち直したので、元文小判はその後80年以上にわたって通用していました。

 

 

 

 

質の悪い貨幣鋳造は将軍権威を揺るがしかねない重大事件であったと考えられますが、背に腹は代えられない幕府は、この改鋳によって武士の財政を守るとともに、景気回復をもはかったのです。

 

 

 

 

貨幣改鋳にも実に深い意味があります。

 

 

 

 

貨幣改鋳から歴史を深めることも十分可能なのです😊

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