前回の続きになります。

 

 

 

 

足高の制が採用された際の、武士の社会についてでした😊

 

 

 

 

まず、足高の制とは具体的にどのような制度なのかについて見てみたいと思います。

 

 

 

 

ここで、日本史の学習には欠かすことのできない参考書である『詳説 日本史研究』(山川出版社)の記述を引用させていただきたいと思います。

 

 

 

 

1723(享保8)年、幕府は役職に就任する者の家禄がその役職の役高に達しない場合、その不足額を支給する制度を採用します。

 

 

 

 

例えば町奉行という役職は役高3000石と定められているので、禄高1000石の武士が就任すると、この武士には役高と禄高の差額2000石が「在職中に限って」支給されるという仕組みになっています。

 

 

 

 

この制度により、禄高が低くても有能な人材を町奉行に登用する途が開けるとともに、この武士の家禄を3000石に引き上げなくても済みます(家禄を引き上げれば、その役職を離れても代々支給されることになる)ために、幕府の財政支出の増大を抑制できるという利点もありました。

 

 

 

 

以上のような説明がなされているように、足高の制は、有能な人材登用をなるべく費用をかけないで実施するとした、財政再建策の一環という説明を私は授業で生徒にしてきました。

 

 

 

 

 

 

しかし!!

 

 

 

 

 

 

儒学者である荻生徂徠によって著された『政談』には、つぎのように当時の武士の社会の現状が説明されています。

 

 

 

 

近年は、太平が久しくつづいて、世の中に変化がないので、世の風習が一定して、家柄というものが定まり、幕臣の家でも上級から中級・下級にいたるまで、それぞれ大体の立身の限度も定まっているので、人々の心に励みがなくなって、立身しようとするよりも、失敗して家を潰したりしないように考えた方がよいということで、何事につけてもいい加減にして世渡りするという気持ちになり、人々の心が非常に横着(できるだけ楽をしてすまそうとすること)になっている。

 

 

 

 

江戸時代における支配者層であったこの頃の武士の社会では、上へ出世しようとする気力が恐ろしいほどに衰えていたことがわかりますね😓

 

 

 

 

つまり、例えいくら能力があろうとも、そしていくら努力しようとも、出世できる限度も定まっているため、それほど頑張ったところで先が見えている…。

 

 

 

 

今の武士としての自分の身分は、自分の代だけではなく、子供・孫・ひ孫…へと引き継がれていく、つまり「家」に与えられているものであるから、自分の代で大失敗して家を潰してしまったら、家名に傷をつけてしまうことになる。

 

 

 

 

だからとにかく平穏に生きていこう、とする考え方にとらわれてしまっていたわけです😅

 

 

 

 

こうした弊害をなくすために採用された人材登用策が、足高の制でした。

 

 

 

 

武士の仕事に対するモチベーションをあげようとしたのです。

 

 

 

 

私は足高の制について、次のように生徒に説明しています。

 

 

 

 

例えば私が年収500万円だとします。

 

 

 

 

校長先生から、君は大変に優秀だから副校長の職について欲しいと言われます😊

 

 

 

 

副校長の職に就くには、年収3000万円が必要とされるのだが、君の年収では2500万円足りない。

 

 

 

 

君には5年間副校長の職に就いて学校改革を行ってもらいたいと考えているので、副校長の職にある5年間限定で、不足分の2500万円を追加で支給しましょう。

 

 

 

 

しかし5年間の在職期間が終わったら、また年収は500万円に戻るのでよろしく!

 

 

 

 

という感じで説明しています😅

 

 

 

 

5年間限定とはいえ年収が3000万円にまで跳ね上がり、高いレベルで緊張感を持って仕事ができるようになります。

 

 

 

 

ただこうした緊張は大きなストレスになる可能性もありますが…。

 

 

 

 

かりに5年間の在職期間とした場合、最後の年は憂鬱だったのではないだろうか、とも推測されます😓

 

 

 

 

また元の生活に戻るわけですから。

 

 

 

 

 

いつの時代でも、上位にある人間は部下のやる気を引き出すために苦労するのですね。

 

 

 

 

給料もほぼ定額で、努力しても出世することができないのであれば、それほど頑張る必要はないと感じる人がいても不思議ではないですよね。

 

 

 

 

安定は怠惰へとつながっていきます。

 

 

 

 

歴史とはさまざまな場面で繰り返されていきます。

 

 

 

 

歴史の反省をどう活かすか。

 

 

 

 

今を生きる私たちに問われているのかも知れません。

 

 

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