時代劇の好きな人であれば、「暴れん坊将軍🐎」の名で知られた将軍の名前を知っているのではないかと思います😊
そうです、江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗です。
徳川家康
┃子
徳川頼宣(よりのぶ:初代紀伊藩主)
┃子
徳川光貞(みつさだ:二代紀伊藩主)
┃子
徳川吉宗
上記の家系図からわかる通り、徳川吉宗は徳川家康のひ孫にあたります。
徳川吉宗は、「諸事権現様(徳川家康のこと)御掟の通り」と家康の時代への復古をスローガンに掲げて幕政の改革に尽力することとなります。
権現(ごんげん)とは、仏が日本の神に姿を変えて現れたものです。
これは本来、仏ながら権(かり)に神の姿で民衆を救済するために現れたという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説に基づいた考え方です。
ちなみに、家康は死後神として祀られることになりましたが、家康の神号には「権現」号を使用するか、「明神(みょうじん)」号を使用するかで意見が分かれたことがありました。
徳川吉宗よる幕政改革は享保の改革と呼ばれますが、高等学校で使用する日本史の教科書にも記載されているように、改革の中心は「財政の再建」にありました。
江戸幕府の財政に関する説明は、以前の「日本史の考え方」でも触れていますが、第5代将軍徳川綱吉の時代に幕府財政は大きな転換期を迎えています。
比較的豊かであった鉱山🏔収入は佐渡金山などの金銀の産出量が減少し、財政は大幅な収入減となっていきました。
そのような中で将軍に就任した徳川吉宗は、まず厳しい倹約令を出して支出の抑制をはかります。
倹約令は江戸時代を通して出されていますが、享保の改革の場合、贈答・婚礼・衣服・夜着・布団などの限度を示し、器物・織物・菓子などの新製品の製作を禁止し、さらには書籍などの出版を許可制にするなどの対策がとられています。
贅沢(ぜいたく)は禁止❢❢というわけです😅
また収入増となる年貢増徴策として、検見(けみ)法を改め定免(じょうめん)法を採用しています。
検見法とは、現地に役人が出向き、作柄(農作物のでき具合)の良し悪しや農民の生活状態を検査し、その年の年貢率を決める方法です。
この方法は検査の手間や費用がかかり、また役人の不正や賄賂などが行われやすかったという負の特徴を持っていました。
これに対して定免法は、役人の不正などを避けるため、過去数年ないし十数年の米の収穫量で年貢率を定め、一定期間豊凶の別なく、定率で年貢を納めさせる方法でした。
以上のようなさまざまな政策を実行に移しながら、財政支出を抑え、収入を増やす努力が行われてきました。
しかしやはり支出は増えていくものです。
現在でもそうですが、人件費はなかなかやっかいな支出でした。
人件費とは、給与をはじめ、雇用によって発生するさまざまな費用のことです。
特に給与は重要で、給与は仕事に携わる人のモチベーションにも深く関わってきます。
いつの時代でもそうですが、人材の登用は会社・企業など組織の活性化に欠かせない重要な要因となります。
享保の改革においても、積極的に有能な人材の登用がなされました。
しかし、人材の登用には雇用主(ここでは幕府)に多大なる財政負担が強いられます。
この財政負担を抑え、有能な人材発掘のために行われた政策が「足高(たしだか)の制」と呼ばれるシステムでした。
文字通り、石高を足す(プラスするということ)のです。
給料UPということです💸
しかし、この人材登用策である足高の制には、当時の江戸幕府が抱えた実に困った事情というものが反映されていました。
この困った事情については、荻生徂徠(おぎゅう そらい)という人が徳川吉宗に提出した、政治に関する意見書である『政談』の中にあらわされています。
当時の困った事情とは一体どのようなものだったのでしょうか。
この続きは次回にしたいと思います。
当時の「武士の社会」は、どのような状況になっていたのでしょうか❓